三浦春馬はなぜ自殺を選んでしまったのか
ドラマ『白い巨塔』で知られる名優、田宮二郎さんは43歳で自ら命を絶った。
古尾谷雅人さんは45歳、沖田浩之さんは36歳という若さで首を吊った。
いずれも、仕事の悩みや金銭関係などが原因だったと言われている。
そしてまた一人、若い俳優が自ら死を選択した。
今年5月に自殺した木村花さんは、テラスハウス出演に付随する誹謗中傷が原因だったのではないかと報道され、SNSの使い方が問題となった。
三浦春馬さんの自殺の理由は現時点ではなにもわかっていない。
これから様々な憶測が飛び交うだろうが、発見されたという遺書の詳細が明らかにならない限り、本当のところはわからない。
誹謗中傷だったのではないかという声も出ている。もちろん真相はわからない。
「勝手な妄想や詮索はしないで」というタレント仲間からの声もある。ただ、ずっと応援してきたファンにすれば、あまりにも突然に「自殺しました」という報道を受けてすぐに「お悔やみ申し上げます」と冷静に送り出せるだろうか。
誹謗中傷やSNSの是々非々は今後も議論が続くべきだが、あらゆる否定的なワードを今後一切空気中に発してはいけないとなれば、迷惑系YouTuberに対し「なにやってんだこいつは!」と口にしてはいけないということになる。
スポーツ観戦をしながら「下手くそー!」と野次を飛ばしてはいけなくなるし、映画を見て「つまらなかったー」とも言ってはいけなくなる。
そんな、日常会話程度のものはいいとする。では、こういった声をネットに投稿するのはどうか。
これも、制御するのはやはりおかしい。レビューも書けない。感想も言えない。なにもかも、ひたすら誉め称えることしかできなくなる。ネットの大半が規制対象になるだろう。
日常会話で言う分にはいいとする。ネットで正直な思いを綴るのもいいとする。
では、本人のアカウントに直接言いに行くのはどうだろうか。
特に問題になっているのがここである。
本人のアカウントに直接言いに行くという行為は、本人が見るであろう前提で投稿するということだ。
日常会話でもなければ、自分のフィールド内での表現でも独り言でもない。間違いなく本人へのメッセージである。
しかし、本人へのクレーム行為を一切禁ずるとするなら、いにしえより続くテレビ局へクレーム行為も認められないという理屈になる。昔あった新聞への投書もNGだ。
政治批判も当然許されないことを意味する。
誹謗中傷、批難、批判、その違いや定義も難しいところではあるが、「人が死を選択するような辛い思いを与える言葉」が良くないと仮にしても、それも人によって感じ方が違うから、この言葉の使用を禁止しこの言葉は良しとする、といった細かいワード指定も難しい。
SNSにはすでに一部の過激かつ不快なワードを表示させない機能がついているが、伏せ字や言い換えを使ってすり抜けられているのが現状だ。
結局、ここにどう規制をかけても、イタチごっこなのだ。
僕もテレビやメディアにたまに出るとバカだのアホだのすぐ飛んでくるが、毎日テレビに出てるような人は、その「量」が違うという。
しかし、100個飛んできて耐えられる人もいれば、2〜3個でも耐えられなくなってしまう人もいる。
誹謗中傷は、使用する言葉や量で、一概には語れない。
SNSを利用する人みんなが、実名で顔を晒し、相手を思いやって運用できれば、それが一番いいと思う。
ただ、免許証を提出した実名顔出しプロフィールアカウントのものしか今後SNSは使えませんとなったら、すぐにみんな利用を止めるはずだし、仮にそうなったとしても、悪質な誹謗中傷を繰り返す人はそれでもゼロにはならないると思う。
そもそも、そういうことをする人に、考え直してもらうよう一人一人諭して、「誹謗中傷をなくそう!」と性善説にならって考えるのは矛盾がある。
なぜなら、社会はそんな前提で成り立っていないからだ。
あなたも、自転車には鍵をするだろう。出かけるときは家の戸締まりをするはずだ。
泥棒を働く奴なんかいないと信じることができるなら、鍵なんかこの世に必要ないだろう。もしそんな奴がいたら話して諭せば改心してくれる、と信じて泥棒と対話できるだろうか。
そもそもYouTubeの世界では、あえて誹謗中傷を誘引するような行為を繰りすことで名を馳せ、大きな収益を稼いでる人が大勢いる。
アカウントを消されては作り消されては作りを繰り返し、知名度を上げて稼いでいく。
結局僕たちも、そういう人たちに対して、好意は抱いてないとしても、何らかの関心を持つから「視聴している」のだ。
「誹謗中傷はやめよう」と繰り返し議論しても解決しないのは、そこに本質がある。
直接的な誹謗中傷行為はしていなくても、間接的にそこには加担してしまっているわけで、その意識は誰も持っていない。
本当に誰も興味を持たなければ迷惑系YouTuberは生まれないしテラスハウスも存在しない。
彼らは、「見てくれる」という前提のもとに行動している。
かといって、迷惑系YouTuberやテラスハウスに責任の全てを押し付けて解決するならこんなに簡単なことはない。
「三浦春馬さんの遺書全文公開」といった見出し記事を見れば、必ずタップしてしまうはずだ。冒頭で触れたように、それも見ず、何も詮索することなくしめやかに送り出すのが、本当はいいのだろう。
でも、見てしまうはずだ。
一番大事なのは、変わらない現状のシステムの中で自殺を選択する人を少しでもなくすことだと思う。
芸能人がSNSを使わなければいけないという法はない。これをマストにしている大手事務所もそんなにないはず。なぜなら、やっていない有名芸能人はたくさんいるからだ。
タレント自らファンに直接何かを発信したいのであれば、コメント欄を閉じることもできるし、直接交流を楽しみたいというのならば、鍵をかけて有料アカウントにすればいい。ファンクラブのような形だ。
だから、ネット上でも鍵をかけるべきである。社会がそうしているように。
豪邸ほどセキュリティに気をつけるのと同様、有名人ほどその対策は必要ではないだろうか。
テレビは華やかに見せることが仕事だから、例え本人にどんな苦悩があってもそこは見せずに活動することが問われる。すると当然、表面的な部分だけを見た者たちからの妬みや嫉みが発する。悪意という名の熱量を持って。
そんなものには本来向き合う必要はない。泥棒に、「そんなことやめなさい」と諭そうとする人はいないように。
人間である以上、目に入るものは頭に入り感情をえぐるから、目に入れない仕組みを作るほかない。
誹謗中傷は良くない、こんな酷い言葉を使うなんて信じられないといった善人たちの議論だけが風に舞い、今日もどこかで誰かが傷ついている。
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