見出し画像

聞いてよマスター 6

「…お客さん、今日はずいぶんと飲むね」

その客は30代半ばの男、杉岡という名の常連で、いつもは飲み方もおとなしいのだが今日はペースが早い。良いことがあったか、悪いことがあったか、二つに一つだろうが、まあ表情を見る限りは後者という感じか。

「ちょっと会社で理不尽な目にあってさ、忘れたいだけだよ。今晩だけにするから許してね、マスター。」

こういう返しができるなら大丈夫だ。我ながら良い客に恵まれてる。

「ふふ…杉岡さん。ちゃんと怪我せずに家まで帰れたら許してあげます。」

「もし俺が潰れたらマスターの家に泊めてね。」

「それはライン越え、キャトルミューティしますよ。」

「でた~宇宙人ジョーク、でもそれもアリかな~。」

「何言ってるんですか全く…」

何の変哲もない、いつもの時間が流れていく。最近は日中に騒がしいのが入り浸るようになったから、深夜の営業時間にこうしてまったりと平穏を感じている。私の経営するこの酒場、歴史はまだ浅い。実は開店してまだ1年も経っていないのだが、場所が良かったのか、将棋を指せるというコンセプトが良かったのか、店が潰れない程度には客を呼べている。地下1階部分がカウンター席と2つのテーブル席を設けた呑み場。そして今、地下2階部分の工事を密かに進めている。将棋を指すことに特化した、尚且つ少し怪しげなスペースにしようと思っているが、具体的にどうするかは未だ探り探りと言ったところだ。

チリン……

控えめな鈴の音、時刻は22時30分、階段を下りてくる足音からして2名客か。空いているしカウンターかテーブルか選んでもらおうかな。

間もなく呑み場の入り口に見覚えのある長身の青年が現れた。榊だ。

「おや、部長さんじゃないですか。いらっしゃい。」

「こんばんは、この間の埋め合わせというのもアレなんですが、比較的まともな客を連れてきましたので…。」

そう榊が言うや否や彼の腰元あたりで何かが跳ねた。

「おい~、比較的まともってどういうことだ~。」

よく見ると私よりも小柄な金髪の少年がいる、おやおやここは酒場ですよ。部長さん、さすがに未成年は…と言いかけたところで榊が苦笑して口を開く。

「いやいや先輩もなんというか…個性的ですので…。」

「まったくフォローになってないぞ~!」

先輩…先輩と言ったか?榊が3年生だから先輩ということは大学4年生?そんなことある?この少年が…?

私の困惑をよそに、二人は漫才のようなやり取りを続けている。

「はっはっはっ、面白い客が来るようになったねえマスター。嫌なことも忘れちゃったよ。」

黙って聞いていた杉岡が豪快に笑う。それを聞いてハッとした私は、2人をカウンター席へ案内して酒のメニューを差し出す。

「ようこそいらっしゃいませ、こちらをどうぞ。部長さん、早速約束を果たしてくれて嬉しく思います。お連れ様は先輩さんですか?」

「先日はご迷惑をお掛けしました。我が部のただ一人の4回生を連れて参りました。お酒の好きな先輩なので通ってくれると思います。」

カウンターに片肘をついてそれを聞いていた先輩さんが私の方へ視線を向け、顔をじっと見つめてくる。うう…

「一条昇(いちじょう のぼる)ってんだ。噂のマスターさんに会えて光栄だね。」

そういってニカッと可愛らしい笑顔を見せる。

「こちらこそ宜しくお願いします、飲み物はどうされますか?」

「では私はマッカランを…。」「俺はターキーね、二人ともロックで。」

それからしばらく酒場は二人の独壇場となり、時々それに杉岡が茶々を入れながら楽しいひと時が過ぎていった。途中で気が付いたが、一条の話し方は少しアクセントが独特だった。言葉選びは普通なのだが、これはやや東北の訛りだろうか。おそらく上京してV大に通っているといったところだろう。

「うちの地方じゃ雁木指す奴が多くてさ~、昔はそれが土地の個性みたいなところもあったんだけど、最近はプロで流行っちゃったからな~。」

「先輩のところの雁木とプロの雁木は趣というか方向性が違うような気もしますけど。」

「まあな、でもアレは面白かったな~、榊。アキと俺の将棋のやつ!」

アキは今や部の話題の中心なのだろうか。彼の話題がところどころで出てくる。アキは一条とも将棋を指したようだ。

「マスターも見てくれよ、俺が先手な。アキがさ~雁木っぽいことやってくるからさ~、面白いなってなって、俺も雁木やって相雁木にしてやろ~と思ったわけ。そしたらさ~」

そういってカウンター上の盤に局面を並べていく。

画像1

「いきなりガツーンってさ~。こいつ江戸かよ~って言っちゃったよね~。」

確かにこれは古き匂いを感じる仕掛け。というよりこんな棋譜あったような…。▲同歩△55歩とでも進むのだろうか。駒がバチバチにぶつかって何とも華やかな将棋になりそうだ。

「もしかしたら春田君は古棋譜にも造詣が深いのかも知れませんよ。」

横から榊が口を挟む。アキは確かにマニアックな戦型もこだわらずに踏み込んでいる印象がある。それだけの知識を裏打ちとしたものなのかもしれない。

「そ~かな~?あいつ感覚で突っ込んできてるだけな気がするけど~。」

一条のほうは納得がいかないようだ。どちらの意見も分かるような気がする。私もどちらかと言えば一条寄りの予想を抱いている。知識は勿論あると思うが、研究将棋というよりその場その場での局面との出会いを大切にしている、そんな印象だ。未知だろうが既知だろうが真面目に読み耽る姿は、別人のように精悍に、そして輝いて見える。底を見せないアキだからこそ、皆惹かれているように思う。

久々に刺激のある営業時間だ。

時刻は0時30分、日も変わったが、まだまだ酒場は閉められそうにない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?