聞いてよマスター 5

私が飲み物を用意している間に、招かれざる2人の青年はカウンター席に座ったまま脳内で格闘を続けている。アキは両肘をついて拳を顔につけて読み耽っているようだ。対する「部長」と呼ばれる青年はお行儀よく膝に手を乗せたまま笑顔でそんなアキを見つめている。先ほどまで私に対してすまなさそうにしてた姿とは打って変わって、純粋にこの時間を楽しんでいる様子だった。

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将棋は横歩取りのマニアックな変化、所謂「33同飛成」という戦型に進んでいる。アキが先手の研究を警戒し、定跡の△27飛を外して△21飛と指したことで、見慣れない形になった。定跡外とは言え中々の手であり、数手進んだ局面で垂れた△26歩の迫力は中々だ。

「部長、シンプルにこれ、困ってませんか?」

「おやおや、私が困っていますか?」

全くそう思って無さそうな口調で部長はニコニコしたままのんびりと返す。

「おやおやって…」

アキも思わずついた肘を直して顔を上げ、部長のほうを見る。彼はニコニコしたままパンドラの箱を開いた。

「▲25歩」

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「はえっ?」「おおっ?」

アキが素っ頓狂な声を上げる。アイスカフェオレを置こうとした私も思わず変な声が出る。私の声に驚いたのか、二人とも真顔で私を見る。いや、ごめんて。だって、こんなのびっくりするでしょ?

「凄い手が出ましたね…はいどうぞ。」

何も無かったように私は平静を装って彼らの前にグラスを置く。

「すみません本当に、ありがとうございます。」

先ほどまでのニコニコが嘘のように、部長は申し訳なさそうな表情に変わる。

「マスターありがと!」

アキは適当な返事をして、ストローを口に加えカフェオレを吸い上げながら両肘をついて、また読みに没頭しはじめた。

「この手を凄いと仰るということは、マスターさんも指されるんですね、将棋。」

手番を相手に渡した部長は、余裕がありそうな表情で質問をしてきた。どうやら私に興味を向けたようだ。

「まあ威張れるような棋力ではありませんが、それなりにですかね。」

「ふふふ…高段者のテンプレみたいな謙遜を仰るんですね。さっきの反応で大体わかりますよ。」

「いえいえ、しかし部長さん?は相当な感じがしますね。大会でも実績を残されてるんじゃないですか。」

私がそう話を振り返したあたりで彼はハッとしたような表情になった。

「あっ、すみません。榊 征史郎(さかき せいじろう)と言います。V市立大将棋部の部長をやっています。先日、春田君に入部頂いたんですよ。彼…色んな意味でなかなか凄くて…マスターにご迷惑をかけていませんか?」

「ははは…大丈夫ですよ。ご丁寧にありがとうございます。」

「△同飛!」

談笑を切り裂くようなアキの声だ。確かに△同桂と取ってしまうと▲85飛~▲22歩のような手順で桂馬を取られて後手が不満だろう。一目は飛車で取ってみたい。

しかし…

「▲27歩」

返す刀で榊は即答する。

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「あ~」

「あ~」

ついにアキとシンクロして声を出してしまった。

普通はこういう歩の合わせは成立しない。すぐに銀の頭に△26歩と打ち直されて拠点にされてしまい潰れてしまうからだ。しかしこの一連の手順、飛車の当たりを強くして歩を合わせれば、△同歩成▲同銀△26歩に▲36銀と当て返すことができる。嘘みたいな魔法で、後手の垂れ歩を無効化してしまった。いやはや恐ろしいことを平然とやるもんだ。

「部長…」

アキが重苦しい口調で呟く。

「はい?」

「……やるね。」

「どうも。」

榊はニッコリと返し、脳内将棋はそこでお開きとなった。

2人とも今日は夕方から部活動のほうへ行くということで小一時間ほど喋ったあたりで、店を出ていった。

「マスター、まーたくるね~。」

アキは笑って手をブンブンとこちらに振っている。

「すみません、今度はお店が開いてる時間に来ますので…。」

榊は頭を深く下げる。

「えっ!?部長お酒飲めるの?俺も行く!」

アキが榊を見上げて部長の手を掴む。

「ちょっ…いたたた!…もう!春田君は未だ飲めないでしょ!来年にしときなさい。」

「え~やだ~ずるじゃん~。」

「何がずるですか!年齢という概念は誰にでも平等に与えられているんですよ。」

かしましくも愛らしいやり取りを交わしながら、彼らは彼らの戦場へと向かう。



『誰にでも平等に与えられている』  か……

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