聞いてよマスター 1

梅雨の雫さえ響かない地下の酒場。

昼も過ぎ、ゆっくりと店支度を始めた私は

…私はそう、宇宙人!

いや、一応言わないと話が始まらなくてね。
取るに足らないことだし、お客さんは誰も信じていないけど。

それが私のパーソナリティなので、ね?

お店が開くまではもう少し時間がある。
グラスを磨いたり、在庫を確認したり、仕事らしいことをしながらゆっくり流れていくこの時間がたまらなく好きだ。

不意に扉の鈴が、控えめに静寂を破る。

「あーすみません、夜からなんですよ…」

そう言って入り口の方を見やった私は、方針の転換を決意し溜息をつく。

「アキくん、大学の講義はどうしたんですか?」
「いやぁ良かった、この雨じゃとても大学まで行く気に…行けないからさ。丁度お店が開いてて助かったよ、マスター。」

聞いちゃいない、私がアキと呼ぶ彼は店が夜からなんて百も承知で、悪びれもせず笑顔で言う。そもそも今日は金曜日、確か二限目があるって前に言ってなかったかしら?この時間に大学に向かうって段階で時空が捻れてる。宇宙人に時空の捻れの話をさせるとは大したもんだと思わない?
私の心を知ってか知らずか、雨に濡れた少し長めの黒髪や、しわしわのくたびれたTシャツをタオルで吹いて、こちらへ歩いてくる。

「はぁ……何度言っても聞かないから、もう一度だけ言いますけど、うちはバーなの、BAR。雨宿りするとこでも溜まり場でもないの。」
「何度言われても、俺はもう一度だけ来るんだからおあいこでしょ。アイスカフェオレ、ミルクたっぷりね」

おあいこ?とは#
小銭を3枚、カウンターに置いて椅子に腰かける。慣れたもんだ、常連客でもこうはいかんでしょ。カフェオレは300円じゃないし、メニューに載ってすらいないが。アキなりの精一杯の場所代のつもりなんだろう。いちいち反応するのも面倒だ。自分用の安い豆で珈琲を淹れ、ロック用の氷をぶち込む。お酒用のグラスに注いで、カクテル用の牛乳を適当にたくさん混ぜて、出来上がり。何もかも雑なつくり。裏腹に、丁寧に彼の前に置く。

むんずとグラスを掴むと、ごくごくと喉を鳴らして気持ちよい飲み方をする。

「あ~生き返った。やっぱこれだね~。」

素人が淹れた珈琲で幸せそうな顔をする彼を見ると、嫌いにはなれない。
それに…私とアキには何とも不思議な巡りあわせの共通点がある。

「あ!そうだ~聞いてよマスタ~。」
「今日はどんな将棋の話ですか?」
「あれ?なんで将棋の話って分かったの?宇宙人だから?こわっ。」
「ぶっ飛ばしますよ。」
「まあいいや。おかしいんだよマスタ~、角換わり腰掛銀って『世に伊奈さん』じゃないの?将棋部の人たち皆4八に金上がってさ、わけ分かんないとこで仕掛けてきて気持ち悪いんだけど!」
「アキくん本当に19歳の大学生ですか?15年前くらいに魂置いてきてません?」
「え~?せっかく『世に伊奈さん全部取ってみた作戦』考えてみたのに~」
「大変興味深いですが…残念ながら使い所はほぼ無さそうですね。そもそも…」

はぁ…今日も開店準備はギリギリになりそう。

無題


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