聞いてよマスター 3

入り口を開けて階段を下り、地下の店内へと案内する。

「お~…良い雰囲気だね。」

きょろきょろと見まわしながら、件の大学生くんは歩き回る。なかなか遠慮が無くて結構なことだ。

「え~と…」

「アキ。春田アキ。そこのV市立大の2回生、名前だけでも覚えていってください、どうぞよろしく。」

「V大のアキくんね、まあ多分しばらくは忘れませんよ。どうぞこちらのカウンターへ。荷物はそこの箱に入れるか足元に。」

は~い、と気のない返事をしながら彼は店の飾り物を眺めたり手に取ったりしている。長身細見、少しボサボサの黒髪、気だるげな表情、服もヨレヨレだが、不思議と店の雰囲気と調和しているのが悔しい感じがする。私は注文の通り、適当なアイスカフェオレをこしらえて、カウンターへ静かに置いた。それを見たアキはすぐに席に座って笑みを浮かべる。

「おーほんとに作ってくれたんだ、ありがとうマスター…んんん?」

「どうしました?」

「マスター…ん~~?………もしかして『ママ』って呼んだ方が良い?」

アキは眼を細めてこちらを見つめている。この流れは私と初めてのお客さんでは頻出の事案だ。私は便宜上女体であるし、男声であるので大概混乱を招く。地球では性の多様性意識が高くなってきているそうだが、それでも個人個人では理解が追い付かない現象というのが、いくらでもあるんだろう。ちなみに私には性別が存在しない。それを地球上で発言するのは流石に憚られるので、お客さんの想像にお任せしている現状だ。

さて、ずーっとママかも思って見つめられているのも何だか恥ずかしいので訂正しておこう。

「マスターでいいですよ。ここはそういう趣旨の店じゃないですので。」

ストローでカフェオレを啜っていたアキが顔を上げる。

「そういう趣旨って?」

「何でもないです。」

変なことを言わない方が良かった。それからしばらく、共通点である将棋について色々と語り、彼のことも少しわかってきた。

子供の頃に本格的に将棋を指しており、プロを目指していたこと。諸々のきっかけであった祖父の急逝により、当時小学生の彼は気持ちが折れて、それ以来将棋とは距離を置いていたこと。幼馴染の思い付きで、強引に大学の将棋部の見学に行かされ、部員と対局。久々にやってみたら思いのほか気持ちが入ってしまい、終わった後、酒にでも酔ったようにフラフラと歩き彷徨っていた…と。

「んでねマスター。ここからが本題なんだけど…」

「当ててみましょうか、その将棋部に入るかどうか迷っている。そんなところでは?」

「やるね…。」

「まあアキくんは今まで長いこと将棋と距離を置いていたわけですから、気持ちのバランスが難しいのは想像がつきます。」

アキはまた考え込んでしまった。ここまで軽い調子で話してきた彼が神妙なな顔つきになっている。まさに本題だ。

将棋というものは時に怖い、一度楽しみを知れば、例え辞めても身体に沁みついて離れることはない。蝋燭に火が灯ってしまえば、そうは簡単に消せないのだ。大学将棋部と一口に言っても、サークルめいたものから本格的な全国区視野のガチ部活まで色々ある。V大は少人数だが、どちらかといえばガチ寄りの強いところだと聞いている。中途半端な自分の気持ちで、そんな部に入って良いのかアキには葛藤があるのだろう。

「対局中、踏み込むか守るか、悩ましいバチバチの局面ってありますよね。どちらも正解かもしれないし、もしかしたら不正解かもしれない。踏み込んだら大きな勝利を得るかもしれない、ボロボロに負けるかもしれない。守れば安定した勝利を得られるかもしれないし、ジリ貧になるかもしれない。どうせ何もかも終わってみないと分からないなら、自分の信じる道を行った方が後悔がないと思いますよ。」

「……そうだね。」

「感想戦ならまた付き合いますよ。」

「ありがとう…『ママスター』。」

「そ れ は や め な さ い。」

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