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僕の価値観

Sageと申します。どうぞよろしく。

今日は5月16日、中間考査真っ只中である。唐突に執筆がしたいという感情に駆り立てられて、急遽文章を書くことになった。

テスト勉強の時間を惜しんで書きたいことって何だよ。って思うかもしれない。
今回触れていくのは価値観の話である。最近人との価値観の違いに面白い、興味深いという感情を抱くようになった。1度自分の価値観と向き合おうと思った、それじゃあ違うか。向き合わなければならない。と思った。

最初に恋愛観の話をしようか。
恋愛に何を求めるか? そんな問いを自分に投げかける。以前の僕なら、重い言葉を吐いただろう。

今の僕は、しんどい時に、抱きしめて話を聞いてくれる相手。と迷わずに答える。実際にはそんな相手はいない。だから、ぬいぐるみに抱きついたり、セフレと遊戯をして心を埋めていたりする。
恋愛自体、ビジネスカップルの様な関係性でいいと思っている、いや、そんな関係が望ましい。ビジネスカップルであれば、他人に深く干渉することもなく、相手を傷つけることなどない。

次に人間関係について話そうか。
僕はパーソナルスペースが広く、仲良くなった人にしか心を開けないタイプである。それに加えて、人間不信の様な機能も備わっていて、数少ない人間としかきちんとしたコミュニケーションをとっていない。
現状はこんな感じだが、何も不満を持っていないし、これでいいと思っている。

時にもっとコミュケーションを取りなさい、 そんなんじゃ社会で生きていけない、社会不適合など言葉を貰う。
実際、1年ぐらいバイトをする機会があり、人とのコミュニケーションって大事だなと痛いぐらい思った。
しかし、労働をする上のコミュニケーションは必須であっても、友好関係を築くためのコミュニケーションは任意である。

自分の負担にならない範囲でコミュニケーションをとって生きていくのは駄目なんだろうか?
若干強要の様なものを感じて嫌になった。

最後に偏見について話す。
普段、なんの根拠も無く、頭いいよね。と言われる。今日もまた努力型とか何とか、言われたよ。
僕の何を知ってそんなことを言うんだ?とよく思う。
僕が過剰反応するのは、勉強しないのが、当たり前の環境で生きているからだ。そんな環境では勉強してるやつは異端でしかない。
普通じゃない。って言われるのにトラウマを抱いてるせいか、特別扱いを受けるのは得意じゃない。

以前クラスで他己紹介というものを行った。相手があまり喋ったことのないクラスメイトだったから、当然偏見が多かった。これを身近な親しき人とやってみたら面白いのでは。とずっと思っている。誰か、、、やりましょう。


最後に…価値観は人それぞれだ。受容できない時は絶対にある。それでも、価値観を知ってお互いにすり合わせをして生きていけたらそんな素晴らしいことはないだろうと思うんだ。
生きるのの難しさとか価値観の相違があった時のしんどさを17歳にして悟ってしまっているから、尚更素晴らしく感じる。誰かとそう生きてみたい。

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