昭和9年当時のソ連とウクライナに関する陸軍の認識
国防の本義と其強化の提唱
「たたかひは創造の父,文化の母である。」
ここに,昭和9(1934)年10月10日,陸軍省新聞班が発刊した「国防の本義と其強化の提唱」という約50ページの小冊子がある。一般には「陸軍パンフレット」として知られている。
冒頭,「国防の本義を明らかにしてその強化を提唱し,もって非常時局に対する覚悟を促さんがため配布するものである。」と発刊目的を示した上で,有名な「たたかひは創造の父,文化の母である。」という書き出しで始まる。
陸軍省新聞班長の根本博
発刊当時,陸軍省新聞班の班長を務めていたのは根本博中佐。福島県岩瀬郡仁井田村(現在の須賀川市)出身。終戦時の駐蒙軍司令官として蒙彊(南モンゴル)在留邦人約4万人をソ連軍の侵略から護り,なぜか戦後1949年の金門島において中華民国(台湾)軍を指揮して中国共産党軍を撃退した人物。
「国防の本義と其強化の提唱」は,永田鉄山軍務局長の承認,林銑十郎陸軍大臣の決裁を得て発刊された。
時代背景
満洲事変 昭和6(1931)年9月18日
満洲国承認 昭和7(1932)年8年9月15日
二二六事件 昭和11(1936)年2月26日
盧溝橋事件 昭和12(1937)年7月7日
ソ連とウクライナについて
仮想敵国はソ連
当時の仮想敵国は,なんといってもソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)。「国防=防共」という時代。
もしソ連と事あらば
「国防の本義と其強化の提唱」の第二章(国防力構成の要素)第一節(人的要素)第二項(人口及民族問題)は,国防と民族問題について,以下のような記述がある。
なぜか「ウクライナ人」がクローズアップされていることに,今日日,どうしても目がいってしまうが,ソ連邦内の諸民族のなかでも人口が多く,かつ独立意欲が旺盛だったのだろうか。
当時の日本陸軍としては,もしソ連と事あらば,ウクライナ人の独立を支援し,ソ連邦の崩壊を企図することも考えていたのだろう。
東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。