マジェスティックホテルから沖縄戦へ
昭和20年4月1日(日)の復活祭
読谷村の海岸線
残波岬からほぼ直線で続く,タイトル写真の沖縄県読谷村の海岸線は,昭和20年(1945)年4月1日,アメリカの大軍が上陸した場所でもある。アメリカ側の意図でしかないが,その日はただの日曜日ではなく,その年の「復活祭(イースター)」だったらしい。
大小1500近い艦船が沖縄の西海岸を埋め尽くしたが,ノルマンディーや硫黄島のような日本軍からの攻撃はなく,従軍記者アーニーパイルが本国に報告したごとく,「われわれはまるでピクニックのようにチューイングガムを噛みながら上陸した」ようだ。
さとうきびの歌
上陸後の惨劇は,例えば「さとうきびの歌」に「あの日鉄の雨にうたれ 父は死んでいった」などと歌われている如く。同歌は,必ずしも読谷村を舞台にしたものではないが,「むかし海のむこうから いくさがやってきた」に結びつくためか,読谷村の公園にはその歌碑が建てられている。
長い戦後
ボロー飛行場
戦中,この地を占領した米軍は,直ちにB29による日本本土爆撃を目的とした「ボロー飛行場」を建設した。
「日本国との平和条約」が定める例外”沖縄”
昭和20(1945)年9月2日に降伏文書に署名して以降,沖縄に限らず日本全体がGHQの占領下に置かれた。
昭和27(1952)年4月28日,日本国との平和条約(いわゆるサンフランシスコ講和条約)が発効し,一般的には日本は独立を回復する。
しかし,同条約第3条は,沖縄など南西諸島について下記のように規定していた。
条約第3条の意義
同条約第3条は,アメリカが,国際連合(United Nations)に提案した上で,戦前,日本がパラオやサイパンなど南洋群島を国際連盟(League of Nations)から委任を受け統治していたのと同じように,沖縄などを信託統治することを日本に認めさせるもの。
しかし,アメリカは,国際連合(United Nations)に提案することなく,同条第3条第2文に基づいて,沖縄の領域及び住民に対し,行政,立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使した。つまり終戦下の占領を敢えて継続した。
本土復帰後
戦後,すなわち朝鮮戦争及びベトナム戦争期,さらには昭和47年(1972)年5月15日の本土復帰後も,継続してこの地は,戦車や航空機による射爆演習場に使われていた。
読谷村への完全返還が実現したのは,実に平成18年(2006)年12月31日だそうだ。
このような歴史を経たためか,読谷村のこの辺りは,滑走路の名残りによる不自然なくらいに直線な道路を含め,隣の恩納村などと比べると開発はこれからという印象が残る。
映画「沖縄決戦」
公開は本土復帰直前
本土復帰直前の昭和46(1971)年に公開された岡本喜八監督の「沖縄決戦」は,新世紀エヴァンゲリオンやシン・ゴジラなどの庵野秀明監督が最も影響を受けた映画らしい。確かに,セリフまわしや,テロップの使い方などは,確かにシン・ゴジラなどに似ているかもしれない。
陸軍第三十三軍
沖縄防衛を目的に新たに昭和19(1944)年3月22日に編成されたのが陸軍第三十二軍で,その参謀長が長勇少将,高級参謀が八原博通大佐であり,映画「沖縄決戦」では前者を丹波哲郎氏が,後者を仲代達也氏が演じていた。
長勇少将
昭和16(1941)年7月28日以降,日本軍は,フランスとの協定に基づいて,ベトナムのサイゴンを中心とした南部仏印に進駐している。長勇少将は,その南部仏印進駐を実行し,サイゴンに拠点を置いた陸軍第二十五軍の参謀副長を務めていた。
ちなみに,同年12月8日,山下泰文中将を司令官とし,イギリスへの宣戦布告となるマレー・シンガポール作戦を開始したのが,この第二十五軍である。
他方,当時,八原博通中佐は,タイ国駐在大使館付武官補佐官を務め,タイ,マレー,ビルマ方面の情報収集にあたっており,その任務上,バンコクとサイゴンの間を往来していた。
人事の妙という引導のためか,開戦前夜,ベトナムのサイゴンで知り合い,痛飲し合う仲になった二人は,後に沖縄で再会し,一方は自決,もう一方はその自決を見届けた後に捕虜となるなど形は違えど,沖縄でともに終戦を迎える運命にあったようだ。
八原博通元中佐が著した「沖縄決戦-高級参謀の手記」
沖縄戦を生き延びた八原博通氏が著した「沖縄決戦-高級参謀の手記」には下記のようなくだりがあるが,マジェスティック・ホテル隣の映画館で観た「ダニューヴの漣波」を懐かしむ二人のシーンは映画「沖縄決戦」の名シーンの一つでもある。
旧サイゴンのマジェスティック・ホテル
ちなみにマジェスティック・ホテルは,1925(大正14)年開業,南部仏印進駐後には「日本ホテル」と称され,日本軍や政府関係者の宿舎とされていた。
ベトナム戦争時には開高健らジャーナリストの定宿としても有名,今もホーチミン市で現役で,何かと日本とは縁の深いホテルでもある。
東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。