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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#ホイアン

天領小名浜にとってのホイアン・Hội An

ベトナムに渡った福島県人「南洋学院」という外地校  戦時中の昭和17(1942)年から昭和20(1945)年にかけて,ベトナムのサイゴン(現在のホーチミン市)に,日本が設立した「南洋学院」という学校があった。  所管は,陸海軍ではなく,文部省と外務省の共管。「大東亜共栄圏」の題目のもと,ベトナムなど東南アジアにおいて,現地住民と意思疎通を図りつつ施政を担う日本人人材の育成を目的とした。実際,ベトナム語などを集中的に学ぶカリキュラムが組まれており,選考に合格した生徒は,非軍人

ベトナム通貨Đồngに名残る豊臣・徳川

豊臣時代に始まった日越の交流平成25年に発見された「安南国副都堂福義侯阮粛書簡」  平成25(2013)年4月15日,九州国立博物館がその発見を発表した日本とベトナムの公式交流の最古の資料となる「安南国副都堂福義侯阮粛書簡」。当時はこの漢字表記でベトナムでも通じたが(というよりもベトナム側が自身で書いた書簡),現在のベトナム語では「Bức thư tín của An Nam quốc Phó đô đường Phúc Nghĩa hầu Nguyễn」と表記する。 国