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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#ホーチミン

日越 1945年9月2日 占領独立

ベトナムと日本にとっての1945年9月2日所はバーディン広場  ベトナムにおける1945年の9月2日は,ハノイのバーディン広場(Quảng trường Ba Đình)で,ホーチミン主席が独立宣言(tuyên ngôn Độc lập)を読み上げ,ベトナム民主共和国(Việt Nam Dân Chủ Cộng Hòa)として独立を宣言した日。ベトナム時間にして同日午後2時。  タイトルの写真は,1945(昭和20)年9月2日,バーディン広場(Quảng trường Ba

BC級戦犯が座したサイゴンの刑務所

収監された刑務所は二か所チーホア刑務所(Khám Chí Hoà)  戦後,フランスが日本人BC級戦犯を裁くためにサイゴンに設けたのが西貢(サイゴン)常設軍事裁判所。  そこで「サイゴン裁判」が開廷されていた間,日本人が収監されていた監獄(便宜上「刑務所」とする。)は二か所。一つは,今もホーチミン市10区で現役の「チーホア刑務所(Khám Chí Hoà)」。 サイゴン中央刑務所(仏名Maison Centrale de Saigon,越名Khám Lớn Sài Gòn

「サイゴン裁判」を知りたい

 令和3年(2021)は,アメリカ,イギリス及びオランダと開戦した昭和16年(1941)から80年となる年。  これら「連合国」同様,アジアに植民地を有していたフランスに対し,日本が攻撃を開始したのは,4年後の昭和20年(1945)3月9日から10日にかけた深夜。同じ頃の東京では,米軍によるナパーム弾の炎雨が人を街を焼き尽くしていた。  ベトナム,カンボジア及びラオスからなる仏領インドシナにおいて,約80年植民地支配を続け,昭和15年9月以降は日本の進駐を容認するなど協力関

戦時下のサイゴンに日本が作った「南洋学院」の今

 戦時中の昭和17年(1942)から昭和20年にかけて,ベトナムのサイゴンにあった,陸海軍ではなく,文部省・外務省共管による「南洋学院」。  その第一期生で福島県出身の方の著書「南洋学院 戦時下ベトナムに作られた外地校」。  ''まえがき''に「戦時中の昭和17年から20年にかけて,当時のフランス領インドシナのサイゴンに南洋学院という学校があった。文部省・外務省共管,公費の旧高専校で,『東洋民族の共存・共栄,邦人発展のため,その第一線に立つ指導的な人材を養成すること』を目指