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日越関係の濃淡

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朱印船貿易時代から現在に至るまでの淡く時により濃い日本とベトナムの関わり
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#大東亜戦争

「腹案」にはなかった真珠湾と「要領」にもあった東亜の独立

【11月5日 第七回御前会議】議題は「帝国国策遂行要領」  昭和16(1941)年11月5日(水)午前10時30分,宮中東一の間にて,留保つきながらイギリス,アメリカ及びオランダとの開戦を決定する御前会議が開かれた。  その議題は,同月1日に大本営政府連絡会議が決定した「帝国国策遂行要領」。時の内閣総理大臣は東條英機氏。前月18日に首相に就任したばかりであるが,後の極東国際軍事裁判において,この開戦決定の責を負うことになる。  帝国国策遂行要領は,僅か二箇条。  アメリカ,

新高山に登る前に日の出を山形で迎えた昭和16年12月8日未明の日本

【昭和16年12月12日付け閣議決定】陸軍山形・海軍新高山  写真の「X日に関する隠語表」には”瀬島”の押印があるが,これは,昭和16(1941)年11月17日,陸軍参謀本部作戦課にあった瀬島龍三氏によって作成されたものであることを示している。  X日とは開戦日でありその隠語は「ヒノデ(日の出)」とされた。ぎりぎりまで戦争を避けるためのアメリカとの交渉が行われたが,開戦が不可避となり,陸軍はその日を「ヤマガタ(8日)」に決定した。  海軍の「新高山登レ一二〇八」に対し,陸軍

もう一つのミッドウェー”会”戦

それぞれのターニングポイントベトナム戦争 「ミッドウェー」  日本人であれば,その名を聞くだけで苦虫を噛むかの記憶が蘇る。  そのミッドウェー島で,昭和44(1969)年6月8日,アメリカのニクソン大統領とベトナム共和国(Việt Nam Cộng Hòa/南ベトナム)のグエン・ヴァン・チュー大統領(Nguyễn Văn Thiệu)との会談が行なわれている。  下の写真は,これを報じる朝日新聞の記事。  ベトナム戦争において,それまで増派の一途だった米軍だったが,新たに