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日中有考

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明治から昭和にかけての日本と清国,中華民国または中華人民共和国との関わりを,先入観なく客観的に。
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#治外法権

日本が先行した租界と治外法権の撤廃

日本が先行した租界と治外法権の撤廃

明治日本が獲得した租界と治外法権 本稿は,下掲の拙稿【明治日本が獲得した租界と治外法権】の続きなので,ますはこちらを。

撤廃へ端緒は汪兆銘政権の誕生

 戦後を待たず,日本・英米による中国での治外法権及び租界が撤廃されることになった契機の一つが,昭和15(1940)年3月30日,重慶にて蒋介石と袂を分かった汪兆銘による新国民政府(南京汪兆銘政府)の樹立であることは,否定することはできない。むしろ

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明治日本が獲得した租界と治外法権

明治日本が獲得した租界と治外法権

”租界”という響き9都市にあった日本租界

 「租界」という東洋的妖艶な響きに,当の日本人でさえも胸が騒つく。
 上海がその代表であるが,当の日本も,既に明治の御世に,自らは「居留地」と呼ぶ西洋式の「租界」を,清王朝9都市に開いていた。

租界<租借地<割譲地

 租界に類似した概念に割譲地(イギリスによる香港島及び九龍,日本による台湾など)と租借地(イギリスによる香港新界,日本による大連・旅順,

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