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サガカケ相談者にインタビュー!『あなたの移住起業ストーリーを教えてください』

この8ヵ月を振り返って

佐賀県移住起業サポートネットワーク、通称サガカケが走り出してから8か月が経ちました。
どんな方たちと出会えるんだろう!というワクワクを胸に始まったこの取り組みですが、ありがたいことに、2024年3月現在、多くの相談をいただいています。

10組のサポーターたちはそれぞれ、時には仲間のように、あるいは友人のように、相談者の方々に親身に寄り添い伴走をしてきました。

「佐賀のいいところを知ってもらいたい!」
「佐賀におもしろい人を増やしたい!」

そんなサポーターたちの熱い思いが通じたのか、相談者の方から「ここまでサポートしてくれるなんて思っていませんでした」そんな驚きの声もいただいています。

今回は、佐賀での移住起業を目指し、今まさにサガカケメンバーと共に走り続けている相談者さんたちの中から、Uターン移住を考えているお二人の声をお届けしたいと思います。

一人目は、大島 怜子(おおしま れいこ)さん。
佐賀県佐賀市出身で、現在はシンガポールにご家族と住んでいます。近い将来に佐賀へ移住することを目標に、シンガポールと日本を行き来し、できるところから移住のための準備をしています。「シンガポールと佐賀の懸け橋になりたい」そんな大島さんの思いをお聞きしました。

二人目は、加茂 博之(かも ひろゆき)さん
佐賀県唐津市出身で、東京で音楽活動をしながら長く飲食業に携わってきました。いつかは佐賀に戻るつもりでしたが、慣れ親しんだ東京での生活を変えるための決定打が無かった加茂さん。ですが、あることをきっかけに佐賀へ帰り唐津で海鮮丼のお店を起業することを決断します。まさに今、唐津へ単身移住し開業の準備を進めている加茂さんに、これまでとこれからのお話を伺いました。

移住へのステップは違えども、どちらも佐賀県出身のUターン組。
県外へ出て遠く離れた地で生活の足場を固めながらも、「いつか佐賀へ帰ろう」という思いがずっと胸にあったお二人です。
これまでにどんなストーリーがあったのか、そしてサポーターの支援を通して今後はどんな夢を描いているのでしょうか?

相談者インタビュー 大島怜子さん

サガカケサポーターと。中央に大島さん。

―まずは自己紹介をお願いします。

現在はシンガポールで家族と暮らしています。
元々は佐賀市に生まれ育ち、高校のときにアメリカへ、大学ではスウェーデンへ留学と、若いころから海外での生活に親しんできました。
大学を卒業後、シンガポールで本格的に海外での生活を始め、イベント業・人材紹介業・IT業界・メディア等で幅広く色々な仕事に挑戦してきました。

シンガポールの美しい景色(大島さん提供)

―今は佐賀への移住のための準備を進めているところだそうですね。

「40代以降はもっと佐賀とシンガポールを行き来できるような生活がしたい」という思いが出てきて、これからの子供の成長具合やこれまで十数年シンガポールで築いてきた生活基盤との現実的な折り合いをつけながら、じっくり時間をかけて進めていこうと、去年から種まきを始めました。

思い切って数ヶ月して意識して時間を作り、移住のための下調べをしたり、子供の長期休みに合わせて一時帰国し、地元の小学校に子供を体験入学させたり、佐賀の新鮮な食を噛み締めつつ、自然を感じつつ、魅力を再発見しながら、足を動かして情報収集に努めています。

昨年12月に帰省した際に出会えた佐賀で頑張っていらっしゃる方々とご縁を紡ぎながら、一歩ずつでも前進できればと日々シンガポールで奮闘をしています。

(写真:大島さん提供)

―なぜ佐賀へ移住したいと思ったのでしょうか?

海外にいると「自分とは何だろう?」とアイデンティティについて考える機会が多いです。
まぁ、天のみぞ知ることかと思いますが、何かしらのご縁で佐賀に生まれ落ちた訳で、長いようできっと短い人生、せっかくなら自分の故郷に恩返しをしたいと私は感じました。

まさかシンガポールにもこんなにお世話になるなんて思ってもいませんでしたが、これもまたご縁。
先進的で国際的な都市国家のシンガポールと自然豊かな地方で何だか可能性をたっくさん感じさせてくれる佐賀。私の人生でお世話になったこの二箇所を何かしら繋げられたら面白いんじゃないかって思い始めました。

それぞれの魅力を相互的に広める機会が増え、佐賀の方々にはシンガポールを切り口に海外を身近に感じていただき、シンガポールの方々にはまだまだある日本の魅力発掘をしていただくきっかけ作りができたら嬉しいなぁって。

―佐賀への移住はどういったことが大変だと感じていますか?

高校まで佐賀に住んでいたので土地勘はあるのですが、佐賀も広いし、地域ごとの文化や歴史、習慣などは、実際に行ってみたり住んでみないと分かりません。

例えば、「この気になっている土地、ずっと売れていないみたいだけど、何か理由があるのかな?」とかそういった、ネットに載っておらず、現地に住む方々しか知らないであろう情報はその土地に詳しい知人などのつてがないと、突き止めることができないかと思います。
その辺りの事情をサガカケのサポーターに尋ねられたり、詳しい人を紹介してもらえるのは心強いです。

それと、私の場合はUターンなので、佐賀を新天地として移住される方々に比べると不安は少ないかもしれません。
むしろ常夏のシンガポールでの生活が長いので、日本の文化や佐賀弁に四季に、家族共々無事に適応できるかなとか、シンガポール側で基盤を立てている住居や年金制度などどうしようかなとか、その辺りは自分だけではなく家族の希望もあるので、現実との折り合いをつけていかなければいけません。

夢と現実のはざまで揺れ動くことも多いですが、夢は描いていないと叶わないので、サガカケサポーターの方に相談しながら夢を追い続けていきたいと思っています。

―サガカケのことはどこで知ったのでしょうか。

佐賀とシンガポールを繋ぐ事業したいと思い立ってからネットで色々と調べているうちに、ふるさと回帰支援センター佐賀県よろず支援拠点の存在を知り、また、サガカケのイベント(※2023年10月22日開催さが暮らしセミナーvol.4「移住起業の本音とリアル」)にも辿り着き、オンラインで参加しました。

サガカケの存在を知り、エントリーを経て佐々木さんとも帰国前にオンラインでお話しした際に、「帰国した際には忘年会にぜひ!」とお誘いいただき、佐賀で無事(?)に一挙集結していらっしゃったサポーターの皆さんにお会いできました!

―サガカケメンバーにはどんなサポートをしてもらいましたか?

忘年会に参加した際は、一か月半くらい佐賀に滞在していたのですが、その期間中に各サポーターの方がご担当されている地域に出来るだけ足を運び、現地の魅力を教えていただきました。

三田さんには唐津の高島、村上さんには伊万里の大川内山の窯元、音成さんには小城市内と、いろいろな場所を案内してもらって皆さんの現場を見せてもらい、佐賀の魅力を再発見することができました。

村上さんに案内してもらった、伊万里の大川内山の風景。(写真:大島さん提供)

―サポートをしてもらって、よかったことはありますか?

例えば誰かを紹介してもらうときに、サポーターの皆さんのように地元で暮らし、しっかりと事業をされている方から太鼓判を押してもらえることは、相手方への信頼に繋がります

それに、ネットで検索して出てきた情報や友人から聞いたことだけでは届かない、リアルタイムの情報を教えてもらえることも大きいですね。
これから先も移住のための活動は続いていくので。

―これからの意気込みをお願いします。

佐賀とシンガポールのSGブリッジになれるように頑張ります!

佐賀とシンガポールは、実はどちらも略称が「SG」と同じなんですよ。
「I♡SG」とプリントしてあるTシャツを実家で母が着ていて、「お母さん、それ佐賀?シンガポール?どっち?」って笑ったことがあるんですが、そんなふうに、一見何の繋がりもなさそうな佐賀とシンガポールが面白く繋がってしまうようなことを作っていけたらいいなと思っています。


相談者インタビュー 加茂博之さん

今年3月末頃オープン予定の店舗の前にて、加茂さん近影。(写真:加茂さん提供)

―それでは自己紹介をお願いします。

生まれ育ったのは佐賀県唐津市です。
高校を卒業して佐賀から離れ、就職のために上京しました。

勤め先の同僚が音楽好きで、教えてもらううちに次第に音楽活動にのめりこむようになり、趣味でバンドをしていたのですが、音楽で食べていこうと決め思い切って脱サラしました。

加茂さんのバンド時代(写真:加茂さん提供)

飲食業との出会いはそこからです。
賄いがあれば食うには困らないだろうと思い、音楽活動をしながら飲食店で働き始め、そこからお弁当屋やホルモン焼き、居酒屋など店舗形態を問わずに様々な飲食店に勤めてきました。

自分に合った店を探していただけなのですが、振り返ってみればそれも経験の積み重ねになったのかもしれません。
選んだわけでは無いのですが、良くも悪くもお客様からの反応がすぐに返ってくるオープンキッチンのお店で働くことが多く、その経験から、自分が仕事をする上で重要なのは「自分のこの作業が、誰のどんな喜びになっているのかを直接感じること」だと気づきました。

―音楽と飲食業中心の生活を大切にされてきた中で、なぜ佐賀へ移住しようと思ったのですか?

長男ということもあり、いつかは地元に帰らなければという思いがずっと心の中にありました。弟からも「これからどうするんだ?」とよく聞かれていて。
ですが、移住となると仕事や生活のことを一から考え直さなければならないので、なかなか踏ん切りがつきませんでした。

「選ばなければ佐賀でも仕事はあるよ」と聞いてはいましたが、自分に合っていない仕事に就いたら後から辛くなることがわかっていましたし、妻とは「子供には親がいきいきと働いている姿を見せていきたいよね」と話していたこともあり、なあなあで決めることはしたくなかったんです。

転機が訪れたのは一昨年のことでした。
祖父の49回忌の法要があったので、飛行機に乗って実家へ帰り、僕も礼服を着て参列しました。長男として両親の後をついてまわったのですが、お寺さんや訪問客に挨拶をしているうちに、体の芯にズドンと来るものがありました。
言葉にするのが難しいのですが、多分そこでようやく「自分はこれから加茂家を背負っていく」という役目を肌で感じ、覚悟が決まったのだと思います。
法要後、佐賀へ移住することを真剣に検討してみました。これまで自分が培ってきたことや唐津という場所について思いを巡らせていく中で、ふと閃いたんです。

「唐津で海鮮丼の店を開けばいいんじゃないか?」と。

というのも、その時勤めていたのが海鮮丼専門の店で、オーナーから暖簾分けをしないかと以前から打診されていたんです。
その話をされた当初は選択肢のひとつでしかありませんでしたが、その「暖簾分け」というアイディアが「佐賀への移住」というビジョンにぴったりはまって。
唐津なら新鮮な魚も手に入るし、慣れている仕事なので店を運営する上での勘もある。暖簾分けなので店のノウハウもそのまま使えます。これだ!と思いました。

そして何よりも、妻が賛成してくれたことが大きく、「子育てのためにも、ゆくゆくは自然が豊かなところで暮らしたい」という妻の希望を叶えられることが移住を決める後押しとなりました。必要事項すべての項目に〇が付いた、そんな感覚でした。

取材の様子。唐津駅近くのレトロな喫茶店「珈琲 檸檬樹」さんにて。

―移住を決めてから、どのくらいの期間で実現しましたか?

移住を決めてからちょうど一年ほどです。
移住を決めてすぐに親戚や周りの人にUターンすることを伝え、情報収集のために動き出しました。

土地勘があったことも大きいですが、やろうと思ったことはすぐに行動に移すこと、自分の足を使っていろいろな人に会って情報を貰うこと、限られた時間と予算の中で計画をしっかり立てながら進めることで、その期間での実現が叶いました。
僕は人と直接会って対話することを大事にしているのですが、それをしているうちに縁が重なり、運よく駅前の好立地の物件を押さえることができ、そこから一気に開業への道が開けました。

―佐賀への移住はどういったことが大変でしたか?

店舗が決まってからの資金の調達が、一番の難関でした。
自分の貯えもありましたがそれだけでは充分ではなかったので、起業をした知人から教えてもらった佐賀県よろず支援拠点で、銀行からの融資や、県の移住起業のための補助金、助成金などのことを相談しました。

どの程度の金額を借入れすればいいのか、申請するベストなタイミングはいつかなど、細かく相談し計画を立てていきました。
「東京と佐賀を何度も往復して書類を集めるのは大変なので、提出書類が増える額よりも下の金額で申請し、それに基づいて計画を立てた方がいい」といったことなどは、相談しなければわかりませんでした。

―サガカケのことはどこで知りましたか?

唐津市の移住担当の方や佐賀県よろず支援拠点に相談している中で、サガカケ主催の移住支援イベントが数日後に東京で開催されると聞き、すぐに参加を決めました。
三田さんの事業の話を会場で聞いたのですが、保守的なイメージだった唐津でこんな先進的な取り組みをしている人がいるんだと驚きましたし、自分がやりたいと思っていることは間違っていないと確信をもてて、励まされました。

―サガカケにはその後、どんなサポートをしてもらいましたか?

先日、仕入れのための挨拶を兼ねて漁協の競りを見に行ったのですが、関さんのサポートがすごかったです。
初めてで慣れない場所に行く僕を気遣ってか、「僕も行くよ」と関さんが朝3時に鳥栖からわざわざ来てくださって。
それも、詳細なプレゼン資料まで用意して、組合の偉い方へのご挨拶に同席してくれたんです。
そこまでしてくれるんだ!と驚きました。
サポーターだからというより、そういうことを自然とできる人なのかもしれないですが。

それと、三田さんには唐津焼の窯元さんを紹介してもらいました。
「店で唐津焼の湯呑みなどから揃えていき、追々いろいろと増やしていきたい」と相談したら、その窯主さんの方から、専用の丼制作の新しい試みを提案してくれました。
とてもいい窯元さんを紹介してくれてありがたいです。

―サガカケにサポートをしてもらって一番よかったことはなんですか?

相談をしたことで、起業への不安が軽くなったことです。
自分では東京で経験を積んできたので起業を成功させる自信があったのですが、心配してくれた親や兄弟に「上手くいかなかったらどうするの?」と言われ、気持ちが揺れることもありました。
ですが実際に佐賀で起業をし、今も事業を続けているサポーターの方に「絶対に上手くいくよ」と笑顔で背中を押してもらえたことは、精神的に大きな支えとなりました。

―これからの意気込みをお願いします。

佐賀・長崎から福岡の通過地点として素通りされてしまうこともある唐津ですが、だからこそ魅力的な店を開いて唐津に来てほしいし、盛り上げたいです。
観光に来られた方には美味しい海鮮丼を食べつつ唐津の素敵なところを知ってもらいたいし、地元の方には、手に届きやすい価格で気軽に来てもらえる店にしたいと思っています。

店内改装中の様子。大きなカウンターを置き、食事と会話の両方を楽しめる予定。
(写真:加茂さん提供)

唐津の海の幸をふんだんに盛りつけ、秘伝の鯛のお出汁と寿司酢ジュレで味変を何度も楽しめる海鮮丼が食べられるお店『海街丼』は、唐津駅前に2024年の3月末にオープンする予定です。
これから情報発信もしていきますので楽しみにしていてください!

お店は唐津駅から徒歩一分。通りに面する大きな窓と白い外壁、重量感のある扉が目印。

店舗名:『海街丼』(うみまちどん)
住所:847-0812 佐賀県唐津市平野町1616-1
駐車場:徒歩1分の所にコインパーキング有り


さいごに

それぞれのペースで佐賀への移住起業を進めている大島さんと加茂さんですが、ご自分の経験を活かす事業を新たに佐賀で始めようとされているところが共通しています。
お二人のように、佐賀には今まさに、おもしろい人たちがぞくぞくと集まってきています。
佐賀という場所の魅力とご自分の得意分野を生かし、佐賀を盛り上げてくれる人たちをサガカケはいつでも待っています。
そのサポートをさせていただくことで佐賀の地域経済の活性化に繋げられれば、こんなに嬉しいことはありません。

「移住しようかな?」と思うところがスタートラインで、そこから長い道のりを乗り越え移住起業をしてからも、そのときそれぞれの悩みや戸惑いが生まれてくることでしょう。
道に迷ったり、疲れて立ち止まってしまったときは、ぜひサガカケにご相談ください。いつでもあなたを応援する準備ができています。

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