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うそ泣きするAちゃんと私たち

私は傲慢な人間ですが、この出来事がなければ、私はもっともっと傲慢な人間になっていたように思います。


小学生時代に、自慢話が好きで、言い負けそうになるとすぐに泣く子がいました。仮にAとします。Aに泣かれると、こちらはゴメンと言うしかなく、そしてゴメンと言うとすぐに泣き止み何事もなかったかのように振る舞うので、私たちは陰で「Aちゃんはいつもウソ泣きするからずるい」と異口同音に言っては、自分たちの不本意な「負け」を慰め合っていました。

ある日、体育の授業でフットベースか何かをやっていた時、Aが反則したかしないかで、A 対 私たち で言い合いになり、いつものようにAはしゃがみ込んで泣き出しました。

私たちが、またか、とうんざりしてしるところに、担任の先生が近寄ってきました。私たちは皆、先生が、私たちを困らせているAに小言を言ってくれるだろうと期待して、先生が来たことを歓迎しました。

ところが、

先生は誰とも目をあわせることなく、真っ直ぐにAのところへ行き、抱き締めたのです。

「よしよし、悲しかったのか、そうか。」


私たちはハッとして、ただその場に立ち尽くすしかできませんでした。

私は自分に初めて宿った不思議な感情をどうすることもできず、グラウンドの土に落ちては染み込むAの涙をただ見つめていました。きっと皆同じ気持ちだったと思います。


先生に何か意図があったのか、それとも困り果てた後の咄嗟の行動だったのか、それは今では分かりません。ただ、私たちは理解したのだと思います。当時はあまりに幼くて言葉では表せませんでしたが、今でもことあるごとにこの出来事を思い出す中で、その理解をあえて表現してみるなら、

誰も悪者ではないし、勝者も敗者もいない。ただ寂しかった、Aも、私たちも。ただそれだけだったのです。


それ以来、私たちはこの出来事を口にすることはありませんでした。そしてそれ以来、「Aちゃんのウソ泣き」を再び見た記憶はありません。


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