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フォーカス、あるいはボヤカス。

こんにちは、研究員の冨永です。
田中さんのHSP(繊細さん)の投稿を読んで
子供の頃の不思議な出来事を思い出しました。

当時、小学校で、合唱の練習がよくありました。
僕は自分が音痴なので、あまり好きな時間ではありませんでしたが
それは歌うのが苦痛なだけで、ボーッと聴いているのは好きでした。

そんなボーッとした時間に、気づいたんです。
みんなが歌っている光景の中の、誰か1人に狙いを定めて
その子の口元をジーッと見つめていると
みんなの混ざり合った声の中に、その子の声だけを
ハッキリ区別して聞き分けられることに。

たまたまその子の声が特徴的だから聞き分けられるのかと思って
他の人の口元を凝視して試してみましたが
やっぱり、その人の声が聞き分けられました。
大人数の大声量の中に、ハッキリ聞こえてくる1人の声を。
なんでこんなことできるんだろう、、、と不思議に思ったのを覚えています。

思い込みのなせる技なのか、人間の感覚の不思議な機能なのか。。。
定かではありませんが、以来、それは僕にとっては普通のことになりました。
いつの間にかその不思議な感覚のことを意識することがなくなりましたが
音の発生源に意識のフォーカスを向けると特定の音が聞こえるはずだ
という確証めいた感覚は僕の中に残っています。

こんなことを考えていたら、もうひとつ、声にまつわる記憶が蘇りました。
特定の声を聞くのではなく
そこで発せられているすべての声、その全体を丸ごと聞こうとしたことです。
これは過去に限った話ではなく、今でも現在進行形で試みています。

というのは、僕はファシリテーターという仕事をしているので
大人数が対話する場面にひとりで向き合うことが多いのですが
そこで同時多発的に発せられるさまざまな声を
ひとつの全体として捉えようと試みるのです。

さまざまな声が、さまざまな感情、意味、意図を発し
それらが響きあいます。
その響きあいの中で、今ここにある対話の場で
何が起きているのか、起きようとしているのかを捉えようとしています。

いわゆる傾聴とは、正反対にあるようなスタンスかもしれません。
特定の意見に意識を引っ張られすぎずに
ぼんやりと全体の声の響きあいに耳を傾けます。
フォーカスするのではなく、ボヤカス感じです。

対話の場に、感覚をボヤかして臨んでいると
そこに大きな意味の流れを感じることがあります。
その流れの中に、不意に聞こえてくる特徴的なキーワードがあります。
そしたら、その言葉にフォーカスして問いを投げかけたりします。
誰かがその問いに反応します。その反応に別の誰かが反応し、それが重なり。。
僕はまた、ボヤカスモードになっていきます。

僕は対話のファシリテーションをしているときに
このような、フォーカスとボヤカスの往復をしているのではないかと
過去の経験にフォーカスしながら、今、思い返しています。

冨永良史(発創デザイン研究室代表/safeology研究所研究員)

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