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その場限り、一回限り

こんにちは、Safeology研究所の冨永です。
前回の山川さんの記事に「即興」という言葉が出てきました。
僕がとても大切にしていることであり
その感覚を掴みかけては逃げられて
ということを繰り返していることでもあります。

即興で乗り切ろう!と覚悟を決めて
ファシリテーションの現場に臨むと
あっちにふらふらこっちにふらふら
焦点が定まらないファシリテーションになることもあれば
その場に集った人たちが発する空気とうまく共鳴して
その場だからこそできた、もう2度と再現できないであろう
その場限り、一回限りの濃密な対話の場が生成できることもあります。

十分に準備をしていることはおそらく必須の条件と思われますが
その準備には、普段の暮らしぶりも含まれているように思います。
起きて、ジョギングして、食べて、掃除して、学んで、考えて、笑って、、、
そんなこんなをする中で、いろんな気づきがあって
時折、その気づきが時間と空間を超えて
ひと続きのものに感じられることがあります。
気づきが発酵していくような感覚です。
そんな時に即興でファシリテーションの現場に臨むと
その場限り、一回限りの濃密さを生み出せるような気がしています。

一度成功すると、その成功をなぞりたくなって
同じような展開のファシリテーションをしてしまうことがあります。
そんな時は、たいてい「空振り」に終わります。
うまく行った時の自分の真似をしているだけで
その場に集った皆さんとの共鳴が起きないのです。

暮らしの中での気づきが発酵している時というのはおそらく
自分と自分の周りの環境を共鳴させる心身の開き方が
うまくいっている時なんだろうと思っています。
環境をコントロールの対象として操ろうとするのではなく
環境へ向けて自分を開いていって、そこで共鳴しながら
何かが起きていき、その流れをつかまえ、委ねる。
そんな感覚です。

いわゆる「ゾーンに入る」という感覚に近いのかもしれません。
これを再現したくて言語化を試みると
言語化された概念にひっぱられて、その概念を「なぞって」しまいます。
そうするととたんに「ゾーンの終わり」がやってきて
空振りのファシリテーションに戻ってしまいます。

これは短時間の間にも起きますし
中長期的な時間の流れの中でも起きます。
2時間のワークショップの中でほんのわずかな時間だけゾーンに入ったり
1ヶ月の間に3日間だけゾーンに入ったり、という具合に。

もしかしたらこれを書いているわずかな時間の中にも
その場限り、一回限りの「ゾーン」があったのかもしれません。
そういえば、気づいたら何行も書き進めていた、という瞬間があったような。。

冨永良史/発創デザイン研究室代表・Safeology研究所研究員

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