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京都の怪談会【創作】


2023年7月16日
京都駅の改札を出ると、アスファルトを焼き尽くすような雲一つない快晴の青空の下に出た。取り敢えず胃袋に何か入れよう。そう思って京都駅から近い蕎麦屋に入った。大正時代から続く老舗のお店で、中は冷房が効いていてオアシスのよう、ではなく多くのお客さんで混み合っていたものだから涼しいはずなのにあまり落ち着けない。

「早い所出た方が良さそうだけど、老舗の味も堪能したいなぁ。」

複雑な感情でお品書きを眺めた結果、ざる宇治抹茶蕎麦を頼んだ。セットで聖護院蕪の千枚漬けとプチ餡蜜もついてくる。

『宇治茶・抹茶スイーツ 京都 きよ泉』より引用

2023年7月10日
先週のことである。会社の後輩である杉本明菜からあることを頼まれた。それは京都の嵐山にある寺院で催される怪談会に行ってきてほしいということだった。もともと抽選に当たって出席する予定だったが、急逝した韓国の友人の葬儀に参列することとなったため欠席せざるを得なくなった。怪談会のルールとして、欠席する際は代わりの出席者を探さねばならなかった。そして私に白羽の矢が当たったというわけだ。

「本当に倍率が高いのでレアなイベントなんですよ。行けないのは惜しいけど、大切な友達が死んでしまったらキャンセルしない訳にはいきませんから。」

物悲しそうに彼女が呟いていたのが印象に残っている。友人の急逝による悲しみを堪えているようにも思えたので、私は後輩を手助けするという名目で京都遠征を決意して現在に至る。

2023年7月16日
主催者側から送られてきたメールに添付されたチラシのPDFデータを事前に印刷してきており、再度書かれている文面を眺めてみる。
※記載されている電話番号と住所等は伏せる

怪談会のチラシ(表)
怪談会のチラシ(裏)

山沿いの住宅街を進み、灯籠の光が煌々と照るお寺へ続く石段を登っていく。やがて、お寺の名前である『明耳院』と書かれた看板が付いた立派な山門が現れた。奥に見える明耳院の本殿といい、京都の新たな観光地に指定されてもおかしくないほど美しい。
幻想的でありながら、幽霊のような得体の知れない何かが潜んでいるような場所。それが明耳院の第一印象だった。

「初めまして。本日の怪談会に出席する予定だった、杉本明菜さんの代理で参加することになりました。●●●●(私の名前)と申します。」
「お話は伺っておりますゆえ。本日、当寺で催されます怪談会を取り仕切らせていただきます。住職の泉と申します。」

泉住職は聞き心地の良い渋みのある声が特徴のお坊さんである。声の抑揚が京都弁のそれで、恰幅が良い好印象な方だった。「どうぞこちらへ」と私は泉住職に会場である寺務所の奥の部屋へ案内される。部屋へ辿り着くとそこには厳正な抽選の末選ばれたのであろう、4名の参加者が私を待機していた。チラシには抽選で参加できる人数が明記されていなかったが、結果的に自分以外で3名しか参加できなかったのは審査がシビアすぎる気もする。
部屋の向こうには大きな円窓があり、ライトアップされた美しい日本庭園が望める。部屋の中央には低い縦長のテーブルがあり、その真ん中辺りに白色と黄色の菊を生けた花瓶が置かれていた。部屋の四隅にはLEDの行灯が置かれていて、煌々と妖しげな光を放っている。4席のうちの手前と奥の右の席は参加者が座っていたので、必然的に私は奥の左側の席に座って挨拶と自己紹介を行った。
ここで参加者について簡単に紹介をする。

参加者①:安西民生(71歳)

丸眼鏡をかけた高齢の男性。水木しげる先生の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』の熱烈なファンで、その影響でお化けや幽霊の世界に関心を持つようになった。しかし『ゲゲゲの鬼太郎』を知る以前に少年時代に不思議な体験をしていて、今回話す怪談話はまさしくそのことだという。

「このような会に出席できるとは。長生きしてみると良いことがあるものですねぇ。」

参加者②:岩倉大樹(10歳)

東山区の私立小学校に通っている。学年は5年生。可愛らしい癖毛が特徴で、周りが大人ばかりなのか少し緊張気味である。怪談会に出席した動機は臆病でナイーブな性格を克服するためだという。とても礼儀正しく、小学5年生時の私とはうって真逆の模範的な少年である。

「ぼくだけ子供で不束者ですが、どうか皆さんよろしくお願いします。」

参加者③:チョ・ジェニ(23歳)

前髪をハの字に分けている金髪の若い女性。韓国出身で、以前はK-POPアイドルユニットに所属していた。元アイドルとはいっても嫌味な印象はなく、謙虚な立ち振る舞いには好感が持てる。元気ではつらつとした彼女は、この会におけるムードメーカーといってもいい。日本語も堪能である。

「このようなイベントは年齢や性別の隔たりがないのでワタシとても大好きです。」

現時点においては、とても良い印象の方ばかりだった。怪談会なのでそろそろ霊現象のようなことが起きてもおかしくないはずだが、特に何も起こてはいない。
私は恐怖を感じつつも、心のどこかでせっかく遠征したのだから非日常を楽しもうと思っている。たまには猛暑をこんな形で涼んでみてもいいだろう。心中で余裕が生まれた手前、泉住職が改めて挨拶を始めた。

「本日はお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。今宵は是非、怪しげで涼やかな夜をお楽しみくださいませ。尚、お一人様につき一話の怪談を心ゆくまでお話しください。参加者様全員が一話ずつ話終わりましたら、お祓いを執り行います。本堂の方へご移動願います。」

挨拶が終わって、遂に怪談会は開幕する。話す順番は泉住職が以下の通りに決定した。


第一話:安西民生さん

社会人になってからは埼玉県大宮市に住んでいたという安西さん。人生の殆どが都会暮らしになりつつあるが、少年時代は秋田県の田舎に住んでいた。引っ込み思案で学校の同級生らともうまく馴染めなかった安西さんだったが、ただ一つ心の拠り所があった。それは裏山にある廃集落での探検ごっこである。
生家の裏にある山へと続く小道を登り、その途中のトの字に枝分かれしている道を右に進む。そこから奥へぐんぐん進んでいくと件の廃集落へ辿り着くという訳だ。集団移転によって置き去りにされた、いわゆる安西さんの住む現集落の前の集落であるということだったが、当時の安西さんはそんな事情は分からない。純粋な冒険心で毎日のように廃屋の中へ置き去り状態になった古めかしい玩具や本などを家へ持ち帰って、その度にお母さんから厳しい制裁を受けていたのはよく覚えている。

※画像はイメージ

その日も安西さんは廃集落を探検していた。勇気を出していつもより奥へ進んでみたところ、今まで発見できなかった道を見つけた。一見しただけではそれが道とは分からなかった。しかし、その道の入り口に不自然に積み上げられた石を見つけて、自身の勘でそう判断した。好奇心に駆られた安西さんはその獣道へ入る。雑草をかき分けて体に群がる藪蚊を振り払う。奥へ辿り着くと、そこには木製の朽ちた鳥居と石造りの小さな祠があった。

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祠の窪みには一輪の花を生けた古い花瓶が供えられている。他にも何か目ぼしいものはないか探してみたが、特に何もなかった。興醒めした安西さんは何も持ち帰らずに帰宅した。
その日の夜に安西さんは奇妙な夢を見た。自宅の庭で面識のない見知らぬ女の子と一緒に遊んでいるという夢である。年齢は13歳ほどで、自身よりは明らかに年上である。麻の葉の紋様の着物を羽織っていて、花の髪飾りをつけている。女の子は安西さんに優しく接してくれて、たとえ夢の中でも友達ができた気がして嬉しかったと笑みを浮かべて語っていた。
眠ると女の子は夢に現れる。実直にそう考えた安西さんは学校から帰ると夕飯の時間になるまで一眠りすることにした。が、女の子には会えなかった。就寝時にも一縷の期待をかけたが残念なことに夢の中で会うことは叶わなかった。
女の子と夢で会うための条件とは何か。昨日の行動を振り返ってみると、思い当たる節が一つだけあった。廃集落の祠へ行ったことである。加えてそこへ供えられていた一輪の花。その花は女の子がつけていた髪飾りと同じだったような。

※画像はイメージ

夢の中の女の子と廃集落の祠は関係がある。あの祠に参拝すれば夢で女の子に会えるかもしれないのではないか。そう確信した安西さんは放課後に駄菓子屋でオモチャを買って、それを持って廃集落の祠にお参りに行くのが日課となった。
結果、祠へ訪れると女の子は夢に現れた。学校が終わると祠へお参りをし、就寝時に夢で女の子と遊ぶ。そんな毎日が中学校に入学する頃まで続いていたという。
社会人になると、多忙な毎日やストレスにより安西さんは疲弊してしまった。上司や同僚から理不尽に扱われる日々の連続で鬱状態になった安西さんは、お盆など彼岸等で秋田へ帰省する度に祠を訪れた。不思議なもので、体は成長しても夢の中では安西さんの姿は小学生の頃のままだった。女の子と遊んでいると童心に帰れた気がするのだそう。しかしある時から夢の中で異変が起き始めた。
結婚して子供が産まれて帰省した時のこと。「タバコを買ってくる」という口実で祠へ行き、例の如く女の子は夢に現れた。しかし、夢の長さが以前より短くなった。それは気のせいではなく、その頃から夢で女の子に会う度に短くなっていく。終いには夢を見てから一時間で朝を迎えるようになってしまった。身体の疲労も充分に回復せず、頻繁に体を壊すようになったので、定年を迎えると奥さんとも熟年離婚をして秋田県内の実家近くに所在する病院へ入院することとなった。

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いつ死んでしまってもおかしくはない。大好きなはずの『ゲゲゲの鬼太郎』を全巻読んでも心が安らがなかった。安西さんは、決死の力を振り絞ってあの場所へ向かった。廃集落の祠である。
長い月日が経ったがあそこは時間が止まったかのようにあの頃のままだったと安西さんは振り返る。参拝を済ませ、老体に鞭を打ってやっとの思いで病院まで戻った安西さんは、疲れがどっと押し寄せてきたこともあって、病室のベッドへ横になると死んだように眠りについた。
どんなにヨボヨボになっても祠へお参りをすれば女の子は夢に現れてくれた。のだが、その時の夢はいつもと違っていた。生家の庭ではない。襖や窓のない薄暗い和室に安西さんはいて、部屋の中央には火の灯った行灯が置かれている。向かって左側には座鏡台があり、行灯の近くにはカルタが並べられていた。その近くで例の女の子が「早く遊ぼうよ」と言わんばかりに畳をポンポンと叩いている。得体の知れない不気味さを感じた安西さんは、女の子より先に座鏡台へ向かって縦長の姿見を覗き込んだ。
後ろに映っているはずの女の子の姿はない。行灯と並べられたカルタがあるだけ。そして、骸骨の姿となった自分自身の姿がそこにあった。出したことのない絶叫をあげると安西さんはそのまま意識を失った。視界が真っ暗になって何もかもが分からなくなってしまった。
結局、夢の中で会っていた女の子は何者だったのか。廃集落の祠とはどのような因果があったのか分からないまま、である。

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第二話:岩倉大樹君

コックリさん。ひとりかくれんぼ。ロンドン橋落ちた。日本だけではなく、世界には様々な奇妙な遊びがあります。そう前置きをすると、岩倉大輝君は自身が住む京都市東山区に根付いているローカルな遊びを紹介した。
その名も『すとくごっこ』。歴史に詳しい方ならご存知の方もいるだろうが『すとく』というのは平安時代の第75代天皇の崇徳天皇のことだ。加えて東山区、ひいては大樹君が通う学校の近くには崇徳天皇御廟がある。詳しいルーツは不明だが、『すとくごっこ』が生まれたのは崇徳天皇について知見を深めようという、歴史や文化の振興が目的だったのかもしれないと大樹君は考えている。

崇徳天皇の肖像-Wikipediaより引用( 画・藤原為信 )
崇徳天皇御廟( 祇園商店街振興組合HPより引用 )

ここで、崇徳天皇について簡単に解説をする。
鳥羽天皇と中宮・藤原璋子の間に生まれ、譲位後に新院(※上皇が既に二人いる場合、新しく上皇になった人)となる。
平安末期。皇位の継承や摂関家の内部構造によって起こった保元の乱にて、実弟の後白河天皇に敗れて讃岐国(現在の香川県)に流刑となった。
実の父と弟に政敵として見られていなかったという残酷な事実を知り、激しい憎悪を抱いてこの世を去る。
そして死後。大火災や後白河院の関係者の不審死など崇徳天皇の祟りとも思える不幸が続き、彼の魂を鎮めるために崇徳天皇御廟が建てられた。歌道を愛する心優しき平安最凶の怨霊。それが崇徳天皇なのある。
話は『すとくごっこ』へと戻る。昭和の中頃まで授業の一環で行っていた学校もあるそうだが、その内容を聞いた私を含めた参加者3名は唖然とした。

❶ クラスの中で崇徳天皇役、後白河天皇役の生徒を決める。

❷一週間の間、後白河役の生徒が崇徳役の生徒に嫌がらせを行う。担任は後白河役の嫌がらせを黙認する。

❸金曜日に崇徳役の生徒を空き教室に呼び出して、平手打ちや竹刀で叩くなどの制裁をする。

❹翌週の月曜日、崇徳役の生徒は終日公認で欠席。放課後に、後白河役の生徒が担任から呼び出されて前述の制裁を行って、終了。

後白河天皇が崇徳天皇へした酷い仕打ちと、その後に彼へ振りかかった厄災の模倣である。さすがに平成から令和にかけての現在は上記の方法で行わなくなった。しかしやり方が変わったと大樹君は言う。大樹君もその現代版『すとくごっこ』を同級生と行ったことがあるそうだ。
崇徳天皇役は大樹君。後白河天皇役はその同級生で、担任のような仲介者はつけずに子供だけで行った。その『すとくごっこ』はスーパー戦隊の真似事のようなもので、嫌がらせもカンチョーや金的といった子供ならではのものだった。
しかし、実際やってみたものの何が分からなかった。何回か『すとくごっこ』をしているうちに嫌がらせは、子供らしいものから徐々にむごいものへとエスカレートしていった。同級生らは大樹君に血が出るほど暴力を振るったり、道端に落ちていた犬の糞を顔面に押し付けたりしたのだ。鈍臭かった大樹君は単なる遊び、友達のいない自身のためにわざわざ構ってくれている。そう肯定的に考えるしか逃げ道はなかった。加えて、お父さんの他界後に身一つで育ててくれたお母さんを心配させたくなかったとも小声で溢した。

「秘密基地に連れて行くで。」

ある日の放課後。同級生にそう言われて、大樹君は彼らと京都の蹴上駅まで全員で行った。蹴上駅からは大樹君だけ目隠しをして移動した。視界を閉ざされているので、とてつもない不安に駆られる。しかし前日と今日のこの時まで暴力や嫌がらせをまだ受けていなかったので、ほんの少しだけ安心があったという。
「目ぇ開けや」と言われて瞼を開くと大樹君らは山の中まで来ていた。ここは同級生の祖父が所有している土地で、彼らはよくここへ遊びに来るそうだ。突飛な変化に呆気に取られた大樹君は我に返り、真下に視線を移すと寒気がした。

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真下は子供では登れないほどの急な崖。上流の方から下流に向かって水が激しい勢いで流れている。ここでバランスを崩したら、下に落ちて激流に呑まれてしまう。恐怖で体がすくんでいると、同級生が言った。

「そぉれ、罪人の崇徳天皇さんは流刑や!」

同級生の仲間二人に肩を掴まれて大樹君は激流へ投げ出された。カナヅチだった大樹君は手足をジタバタするしかできなかった。川の底は深く、何度も顔に水を被って呼吸も満足にできない。最悪なことに雨も降ってきた。雨足はあっという間に強くなり、川の水かさも増した。激しい雨と荒れ狂う川の音に混じって、声色の高い笑い声が聞こえてくる。声の主はあの同級生たち。

「お前のことはずっと嫌いやった。勉強も運動もできんくせに先生から女子からチハホヤされて目障りだったんや。おかんと二人だけで金もろくに持ってへんからって悲劇のヒーローぶりおってからに。すとくごっこは遊びやない。うちの爺ちゃんがガキの頃から続いとるイジメの一種や。遊び相手が欲しい言うてたもんな?同級生に見送られながら死ねるなんて幸せもんやさかい。」

ショックを受けている余裕はなかった。気づけば大樹君の体は水の中に沈んでいた。目が痛いのを堪えてあたりを見渡してみる。木の葉や流木が自分を通り過ぎて流れていく。下を見てみると、暗闇しかない水底から何かが這い上がってくる。黒い影のようなものがたくさん。それは大樹君に近づいて、ペタペタと体を触り出した。みんながみんな、体型が自身と同じくらいの子供たちのようだ。

「そういえば、昔から続いとった言うてたっけ。」

幻覚ともとれるこの黒い影らの正体が想像でき、意識が薄れていったのちに何も分からなくなった。『すとくごっこ』は終わり、悲惨な最期を遂げた崇徳天皇の気持ちを少しだけ知ることができた気がしたという。

第三話:チョ・ジェニさん

ジェニさんが以前所属していた女性K-POPアイドルグループ『amaZONE』がデビューしたばかりの頃の話。
ファンミーティングを積極的に開いたり、アユクデ(韓国語:아육대)と呼ばれる韓国アイドルが集まる運動会といったバラエティにも参加したりしていた。多忙な毎日だったものの練習生時代の苦労が報われていると実感して、充実感を噛み締めていたとジェニさんはあの頃を語っている。

2019年に行われた時の様子(KNTV公式HPより引用)

ジェニさんにはアイドル活動をしながらの密かな楽しみもあった。それは日本でのファンサイン会だ。理由は大勢のファンに混じって日本人の親友であるSさんが会いに来てくれるからだ。それがとても嬉しかったと語っている。
ファンサイン会を何度か行っていると、来場者には二つのタイプの人間がいるそうだ。

●パニックになって何もできなくなる人
●興奮のあまり、流暢にアイドルと話をする人

ジェニさんによれば『amaZONE』のファンの方は後者の方が多かったようだ。最初こそパニック状態になるが、何度か対面を重ねていくうちに自然と会話ができるようになることがあるそうだ。自慢ではないがと前置きをして、ジェニさんは昔から記憶力が良かったこともあって、サイン会では顔見知りになったファンの方が結構いたと語っている。ただ一人だけ、おかしな人がいた。
30歳近くの営業職の男性で、名前は地名さんというそうだ。日本人ではとても珍しい苗字と聞いていたのでよく覚えたという。長髪ストレートに眼鏡をかけており、内向的な印象を感じる人。最初にサイン会で会った時は、

「地名と申します。あの、活動頑張って下さい。」

…と他にも何か言いたげそうな顔をしながら小声で呟いてそそくさと帰ってしまった。それからも
地名さんは日本でサイン会がある度に、毎回訪れた。加えてジェニさんのサインしか貰わなかったので、自身が推しなのだと確信した。地名さんが最初にサイン会へ訪れてから5回目くらいになって、遂にジェニさんは彼に声をかけてみた。

「地名さんでしたっけ?いつもご来場いただきありがとうございます。」

以降、何度か地名さんに声をかけていくうちに彼も段々とジェニさんに心を開くようになった。デビュー後、初めて固定ファンができた気がしてとても嬉しかった。ジェニさんはそう語った。
地名さんは学生時代に酷いいじめに遭い、社会人になってからも上司や同僚から屈辱的な扱いを受けてきた。離れて暮らしている実家の家族は新興宗教にのめり込んでしまい、現在は音信不通状態で天涯孤独の身となってしまった。絶望の最中にとあるドキュメンタリー番組でジェニさんを知り、彼女の生い立ちや人柄に好感を持ち、晴れてファンとなったのだ。
ところが地名さんの様子がある時からおかしくなった。ビルボードチャートのK-POP部門でジェニさんの所属する『amaZONE』が一位を獲得して今まで以上にファンが増えた。必然的にサイン会の来場者数も増える。サイン会一つ行うだけでかなり疲弊したとジェニさんは振り返る。いつものように地名さんも訪れたが、忙しかったために挨拶も満足にできずにサインも適当に済ませてしまった。そんなことが何度か続き、地名さんは遂に痺れを切らした。サイン会を訪れる度にジェニさんに対して暴言を吐くようになったのだ。

「ボクがこんなにも応援しているのに、人の気持ちを蔑ろにするのか。」
「苦労して稼いだ金で綺麗になって、チヤホヤされて、人生楽しいかよ。」

やがて地名さんはジェニさんに対して「死ね」や「産んだ親が可哀想」など罵倒をするためにサイン会へ訪れるようになる。最初こそ申し訳なさそうに会釈をして対応していたが、スケジュールが過密になったことから、体力的にも精神的にもジェニさんは追い込まれていった。結果、ある日のサイン会で地名さんの暴言をひたすらに無視してサインを行った所、起きてはならない事態が発生した。地名さんはジェニさんの態度に激昂して、イスから立ち上がって彼女の胸ぐらに掴みかかった。警備スタッフに制止され、地名さんはそのまま退場。暴行罪で現行犯逮捕されてしまう。この事件はネットニュースにもなっている。

「ファンなんて所詮競争社会に惨敗した金づるなんだから、適当にあしらっとけばいいんだよ。こんなことになったのはお前がファンとの駆け引きが下手くそだったからだ。」

事務所の社長の口から放たれた言葉にジェニさんは深い傷を負った。日本に比べて韓国は何もかもが弱肉強食の社会。華やかに見えるアイドルの世界とて同じ。
オーディションを突破して『鉄格子のない監獄』と揶揄される厳しい育成プログラムを乗り越えても、デビューできる確率はかなり低い。ましてや練習生時代からデビューはおろか、それ以降も様々なお金がかかるというのに給与は安い。ジェニさんが所属する事務所だけでも、練習生時代から多額の借金を抱えている子は多いそう。
ジェニさんは鬱状態になり、『amaZONE』を脱退。家族に何て言われるかが怖くて、韓国には帰省できなかった。結果、日本人の友人Sさんの家に無理を言って居候させてもらうこととなった。借金も残っていたので、Sさんの住むマンション近くの居酒屋でアルバイトをしながら日々を過ごした。一年も経てば地域の人々とも交流を深めており、晴れてアイドルから一般市民に戻っていた。

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ある日の夜、ジェニさんはSさんとはしご酒を楽しんでいた。そろそろ帰ろうと言った手前、お酒をたくさん飲んで泥酔状態だったのかSさんがこんなことを言い出した。

「さっき出たお店から誰かつけてない?」

二人ともすっかり気分が良くなっていたので最初は気のせいだと思っていたが、住宅街に入り児童公園までやって来たタイミングで確信に変わった。黒のパーカーにジーンズ、ボロボロのスニーカーを履いている。その人物は暗闇に紛れてジェニさんたちを遠方からじっと見ている。恐怖心に駆られたジェニさんはSさんの手を引いて歩みを早めた。路地をジグザグに駆け抜けて、追跡を撒こうと試みる。再び公園までやってくると、ジェニさんは警察に通報をした。ベンチに重たくなった腰を下ろした刹那、背後の茂みからその人物が出てきてジェニさんを突き飛ばした。気づけばジェニさんはその人物に馬乗り状態になっている。向こうではSさんが足を震わせながら、ジェニさんに代わって通報をしていた。
フードをあげたことでその人物の素顔が見える。とても見覚えがある顔。サイン会で初めて会った時の穏やかな表情はもうそこにはない。

「自分を好きな人に見届けられながら死ねるなんて、ボクには羨ましくて仕方がないよ。」

地名さんという名前は口から出せなかった。あの時の恐怖が蘇ってきたジェニさんは、なされるがまま彼がポケットから取り出した果物ナイフで腹部をメッタ刺しにされた。何度も、何度も。

「これが、その傷です。」

見苦しいものを見せてしまい申し訳ありませんと言って、ジェニさんは服を捲り上げて、私達に無数の刺し傷が生々しく残るお腹を見せた。ジェニさんの怪談は以上である。妖怪や幽霊は登場しなかったが、彼女はそれに勝る恐怖体験はないと切実に訴えた。そして最後にSさんや韓国の家族を始めとした、親交があった方々にこう伝えたいと溢した。

「今は会えないけど、これからはワタシがそばにいると思って前を向いて生きて。」

最終話:私

私が専門学校時代の話である。当時は学生生活を送る傍ら、カラオケボックスでアルバイトをしていた。18時半から23時までの中番と呼ばれる時間帯で、平日はあまり忙しくはならないので清掃や深夜帯に向けての仕込みを主として行っていた。あまりにも暇すぎると店長からの指示で5階全体の締め作業を行っていた。
5階のルーム締めにはある決まり事がある。それは12部屋あるうちの一室。エレベーターから見て右側の一番奥の506号室の締め作業を、絶対に行ってはならないという。というよりその部屋に入ること事態がスタッフ間ではタブーなのだそうだ。明確な理由も不明なので気味が悪かったのをよく覚えている。
仕事がすっかり板に付き、私にも後輩ができた頃である。仮に名前を苅野さんとする。苅野さんにも締め作業を教えることとなり、私は簡単に作業の流れを説明した。そして二手に分かれて5階の締め作業を行うこととなった。私は左側、苅野さんは506号室のある右側。手前の部屋から順番に片付けていく。苅野さんは自分よりも手際良く作業を進めていて、あっという間に最後の部屋まで辿り着こうとしている。しかし、私は重要なことを教え忘れていた。506号室には入っていけないことである。事前に「使用不可」と書いた紙をドアに貼っていたはずだが、ちゃんと見ていてくれているだろうか。嫌な予想は当たった。苅野さんは掃除用具を残して5階から姿を消した。トイレも含めて三度も入念に探してみたがやはり見当たらない。506号室に入ろうと思ったが、私は入室を躊躇った。窓から室内を覗いてみたが、苅野さんはいないし特に変わった様子はない。
残っている締め作業を済ませて、他の階にも苅野さんはいないかくまなく確認した後、キッチンにいる先輩の元に戻って私はことの一部始終を報告した。話を聞いた先輩は怯えた表情になり、内線を通してフロントにいる店長へ報告をした。私は店長に呼び出されて、506号室の説明していなかったことについて叱責された。そして私は改めて506号室が一体何なのか、入ってはいけない理由、店長はどこまで知っているのかと質問をした。しかし…

「悲しいことに。実際、俺もあの部屋の実態を把握していないんだよ。前店長からの引き継ぎの時も、あの部屋は使っちゃダメとしか言われなかった。理由を聞いても返答がないし。」
「本当にどうしましょうか。このまま、行方が知れないままだったら…大変なことになります。」

といっても、私や店長も含めてその時間帯に勤務していたスタッフには何もできなかった。ただ、苅野さんがひょっこり生還するのを期待して待つだけである。その後も退勤時間まで仕事をする傍ら、苅野さんを待ち続けたが一向に現れない。残業して彼女を待つと店長に訴えたものの、私は店長の気遣いで、苅野さんが見つからないまま帰宅を命じられる羽目になった。

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帰宅後、店長から電話がかかってきたのは翌日の午前2時頃だった。

「テレビ通話にできるか?」

店長の言う通りにすると、画面の向こうに店長と並んで待ち望んでいた顔が映った。苅野さん本人である。506号室に入って以降、何かあったはずなのだが不思議なことに出立ちは締め作業をしていた時と変わらない、店の制服に可愛く結んだお団子ヘアはそのままだった。

「ごめんなさい、●●●●さん(私の名前)。貼り紙を無視してしまって。」
「こちらこそ申し訳ありません。あの部屋について何の説明もしていなくて。」

お互い真剣に謝罪を行う。どう考えても、指導を怠った私が全て悪いはずなのだが、苅野さんはひたすらに小声で謝罪を繰り返す。そんな中、店長は506号室に入って以降、何が起きたのかを尋ねた。しかし苅野さんは一向に話したがらず、先程よりも異常に取り乱す素振りを見せた。
まるで、あの部屋で私達の理解の範疇を超えたものに出会ったかのような。口に出したくないほどの驚愕な体験をしたのだろうと感じる。結局、苅野さんは506号室で起こったことについて何も話さなかった。真相は専門学校を卒業して、カラオケボックスでのアルバイトを辞めて数年経った現在も不明のままである。何だか怖いし、調べるだけで何かしらの不幸が私の身に起きそうな気がしてならなかったからだ。因みにそのカラオケボックスは現在も普通に営業をしている。

歓談

参加者全員が話を終えて、お祓いの準備の為30分程の休憩時間が設けられた。泉住職が部屋から去ると私達は話した怪談について互いに語り合った。

「依存性があって正体不明の夢ですか。廃集落が集団移転したこととも何か関係がありそうですよね。」
「韓国のいじめも酷いけど、そのすとくごっこもおぞましいね。歴史の真似事の遊びからいじめに発展するなんて。いつか完全になくなるといいよね。」
「しかし華やかに見えるアイドル業界の実態は、怪談よりも恐ろしいですね。」
「いやいや、人が消える部屋なんて下手したら大事件ですから。」

雑談に興じる傍ら、三人の参加者が話した話についてある疑問を抱いていた。

……なぜ、話の締めをあやふやにしたのか。

●安西さん :衰弱状態の最中、病室で悪夢を見て何も分からなくなった。

●大樹君  :いじめの末に同級生らの手で激流に投げ出されて、水底で黒い影を見て意識不明。

●ジェニさん:脱退後にファンの男性につきまとわれた末、公園で腹部を果物ナイフでメッタ刺しにされる。

後日談が一切ない。

怖い体験をした所で話を締め括っている。若いお坊さんが部屋にやって来て、私に冷たい麦茶を用意してくれた。しかし他の参加者には出さない。「他の方には出さないのですか?」と尋ねると、愛想笑いだけをしてその場を去ってしまった。
実は私が話したカラオケボックスの話はネットで拾ったものだった。真偽や出所が不明な話を自分の体験のように置き換えたのだ。結末だけ見れば、私だけ無事で、その後も普通に人生を送っている。何だろう、それとは逆に他の参加者は…

死んだことを誤魔化している

そんな気がしてならない。麦茶が喉を通る音が目立って響き、異質な雰囲気が部屋に漂う。私は三人の参加者に向けて何気ない質問をする。

「なぜ僕だけに麦茶を淹れてくれたのでしょう。それに先程の話のその後はどうなったのでしょうか。どうしても気になってしまって。」

円窓の外を見ると雨が降っていて、会場はより一層暗くなる。

「●●●●さん(私の名前)が考えてらっしゃる通りです。私たちは今宵集まるべくしてこのお寺に集まりました。」
「清らかに新たな旅立ちができるようにです。」
「怖がることはありません。そうだ、この場を明るくするために練習生時代から温めている一発芸でも披露しましょうか?」
「ジェニさんも、大輝君も、安西さんも。ただでさえ恐ろしい体験をしたというのにこの後どうなるかなんて分からないと思います。なぜ、そのような明るい気持ちでいられるのでしょう。」

私の問いかけに最初に答えたのは安西さんだった。彼は落ち着いた口調で語り出す。

「人生においてゴールとは何でしょう。今ならばそれが死であると実感できます。死亡というゴールインも善し悪し様々です。恐怖体験ではありましたが、最後に夢で女の子に会えた私は幸せ者でした。」
「ぼくもすとくごっこでいじめ抜かれて川に投げられるという酷いものでしたが、こうやって誰かに聞いてもらえて慰めてもらえて、結果的には幸せ者だったようです。」
「私も韓国へ帰れないままでしたが、今日この場で全てを話し切れたことでスッキリしました。改めてこの場で言わせてください。聞いていただいて本当にありがとうございます。」

三人がこの怪談会の感想を言い終えたタイミングで泉住職がやって来た。お祓いの準備ができたようである。もう二度とこの人達に会うことはできない。そう思うと、私も改めて全員に対して言わなければいけないことがある。

「とても貴重なお話をしていただいて、ありがとうございました。」

冥加

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その後はあまりにも淡々としていた。本堂の方へ移動して仏前に並べられた座布団へ正座する。一般的な葬儀のように泉住職が読経する。読経が一度終わると、泉住職は私達に言った。

「それでは皆様、只今より彼岸への橋渡しを執り行います。鐘楼が鳴りましたら目を閉じて合掌を行い、再び鐘楼が鳴りましたらお直りください。皆様の今後に冥加がありますことを。」

外の鐘楼からゴーンという音が聞こえて目をつぶって合掌する。この時の読経は短かった。印象的だったのは泉さんが私以外の参加者の名前を読み上げた瞬間に気配が消えたことだった。その後も読経が続き、2回目の鐘楼が明耳院中に鳴り響いて終了した。
私以外の参加者は消えていた。

後日談

怪談会が終わってお寺の外まで送ってもらう間にこの怪談会、ひいては明耳院について泉住職へ尋ねた。
明耳院が建っている場所は昔は霊場で、メジャーではないものの京都の古い記録にも載っている程の凄い場所なのだそう。あまりにも霊が集まりすぎたために人々はこの土地を恐れるようになった。そこへ明耳院の開祖となる僧侶の天雁上人が現れて集まる霊を成仏させるようになった。やがて霊場には立派な寺院が建設される。天雁上人の霊を呼び寄せて肉眼で視認させる技。生身の人間とコミュニケーションを取れるようにする技。魂を清めて彼岸へと旅立たせる技。それらは令和の時代まで受け継がれることとなる。

「当寺へいらっしゃるのは不可解な死を迎えた方や悲惨な最期を迎えた方ばかりです。ただ経を読み上げるだけでは霊魂の成仏は不可能でした。ですが今から4つ前の代の住職が檀家の方を招いて歓談の後に読経を試みた所、これまで以上に安らかに霊魂を彼岸へ旅立たせることができたのです。」

霊魂とはいっても少し前までは普通に日常を生きていた。感覚や心理状態は普通の人間とは大差ない。生きている人に悲しい体験を聞いてもらえるだけで心に安らぎが生まれる。そのような計らいから、霊魂の成仏のために生きた人間と行うこの怪談会は誕生した。
明耳院の怪談会で霊に会えるという噂は人伝に広がり始める。オカルトマニアや心霊現象を研究する大学の教授なども、肉眼で霊を見ようと参加を申し込むことがあるそうだ。中にはSNSでバズるためにルールを無視してメディア機器を持ち込む不届きな輩もいるそうで、そのような気のある人は探偵などに依頼して入念な調査の末に判断をするのだという。倍率の高い抽選な上に一人しか参加できなかったのも納得だ。参加料金が他の怪談イベントと比べて高いのも割に合っている。
私は泉住職と別れて山門から石段の入り口に向けて歩き出した。入り口まで戻ってくると、石段が続く明耳院の方へ向かって深々と一礼した。

※画像はイメージ

「それで、それで、怪談会はどんな感じでした?」

2023年7月18日
ことの発端である杉本明菜は食い気味に質問をしてきた。イベントの内容の口外は禁止されているのだが、元々参加することになっていたし、何よりすごい楽しみにしていた様子だったので帰宅後に電話で全貌を話すことにした。とはいっても、自分以外の参加者が幽霊だったことは伏せて全員が生きている人間という程で話した。彼女は期待通りのリアクションをして私の話を聞き込んでいる。とこらがジェニさんの話になった途端、しばらく無言になった。やがて電話越しに彼女の嗚咽が聞こえてくる。10分ほどして彼女は取り乱したように震えた声で話し出す。

「友達のお葬式があるから怪談会には出席できないって話をしたと思うんですけど。その友達っていうのが……。」
「それって、まさか。」
「韓国出身の友人、チョ・ジェニです。」

恐らく一連の出来事の中でこの事実が私を驚愕させた。日本人の友達Sさんとは杉本明菜のことだった。加えてとても悲しい気持ちになる。なぜ、あの時もっと話をしておかなかったのだろう。Sさんとは誰かなど質問できたに違いないはずなのに。私は遂に、怪談会の参加者が全員死者であったことを杉本明菜に打ち明けた。彼女はその事実を疑いもせずに、素直に聞き入れた。

「本当に痛ましいよ。ファンを大切にできなかったと後悔していたし、実家に帰るのが怖かったとも溢していたよ。」
「葬儀は韓国の地元で行われて私も出席しました。ご家族の方はアイドルを目指すのを反対していたみたいで、売れなきゃ絶縁すると啖呵を切ってしまったことを後悔していました。」
「生きている間は疎遠でも、お葬式では必ず顔を合わせないといけない。虚しいものだけどジェニさんは君のことを大事に思っていたみたいだよ。それに自分が体験した怖い思いを知ってもらえたことで安心できたって言っていた。」
「そうだったんですか。遺族の方には感謝の意を表されました。ジェニの親友でいてくれてありがとうって。」

杉本明菜はその後もジェニさんの話を続けた。何だか泣きそうと言っているが、既に声を出して大泣きしている。そういえば、ジェニさんは話の締めで何て言っていたっけ。私には、杉本明菜に伝えなくてはならないことがまだ一つ残っていた。

「今は会えないけど、これからは私がそばにいると思って前を向いて生きて。」

その言葉を、ジェニさんからの言伝を聞いた杉本明菜は大きめの音を立てて鼻をかんだ。ズズーッという音が電話越しに聞こえる。そして、次のように返した。

「そんなの知ってるよ。今もこれからもそばで見守っていてね。」

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