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ストーリーを語る意味について〜物書き編〜


ストーリーを語る意味について、今日はみなさん文章を書く人向けに思いついたことを書いていきます。

文章を書く上で重要な作業の一つに、推敲、があります。
お仕事で文章を書くことがある人は、
「もっと推敲してから出しなさい!」
と言われたり、
「ここもっと推敲したいな!」
とご自身で思われたりする方もいらっしゃるかもしれません。

そんな時僕だったら、
「人にやれって言われるとやる気が失せるんだよな」
「そもそも推敲って何?」
「この人も分かって言ってるのかな?」

とか

「でも推敲って終わりがないんだよな」
「ちょっとした文言の違いでそこまで変わるかな?」
「どっちでも一緒でしょ!」
「大事だけど優先順位は低いな」

とか、思っちゃいます。

でも、もし、こう言うふうに言われたらどうでしょう?


推敲しないとだよなー、僕やらなきゃいけない推敲がいっぱいあってさ、noteもXも会社のレポートも次のスピーチの原稿もさ、いっぱいあるよね。

でもさ、実は僕、推敲って言葉嫌いじゃないないんだよね。
いや、行為自体は簡単なことじゃないよ、そもそも推敲って何やねん、って感じだし。僕ある時そう思って、言葉の意味について調べてみたんだ。

そもそも推敲って中国の言葉なんだって。
学校の漢文で習った、漢詩ってあるじゃない、あの世界から生まれたんだ。

都に科挙(今の日本でいう国家公務員試験だね。)を受けに来ていた賈島(かとう)さんは、ロバに乗っている時に
「僧は推す(おす)月下の門」という美しい詩を思いついた。

その時、「推す」の他に「敲く(たたく)」と言う語も浮かび、迷っていたんだそうだ。

そんなこんなで迷っているうちに、役人の行列が来ているのに気づかず、それに突っ込んでしまった。

しかも何とその行列は都の知事の行列だったので、賈島さんは捕えられてしまい、当時の知事の韓愈の前に引っ立てられた。

賈島さんは、その経緯を述べた。
とある詩を思いついたこと。
その中の言葉でどちらにするか、とても迷ったこと。
身振り手振りでイメージするけれどもどうにも決められないこと。

幸運にも、韓愈は優れた名文家であり、漢詩の大家でもあったため、賈島の話を聞くと、

「それは『敲く』の方がいいだろう、月下に音を響かせる風情があって良い」と言った。そして、二人は、馬(韓愈)とロバ(賈島)を並べていきながら詩を論じ合った。

そんな経緯からこの言葉は生まれたんだ。
一つの詩の、推すか、敲くか、その細かい表現にこだわった賈島の姿勢が、同じく文を嗜む韓愈の心を打ったんじゃないだろうか。

その言葉一つの違いは小さなものかもしれない、でもその言葉の小さな違いこだわった時間やその姿勢、そしてそれにより紡がれる物語は、一種の”ネタ”になり、心を打つのではないだろうか。

とちょっと大袈裟だったかもしれないですが、こんなおすすめの仕方はどうでしょう?そんなお話でした。



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