台湾で航空機の博物館や駆逐艦の砲塔の展示などを見てきた話(後編)
こちらは後編である。前編は以下のリンクから。
台北から基隆まで
朝起きて昨日コンビニで買ったチョコを食べた後出発。台鐡で台北駅から基隆駅まで移動する。運賃は確か61元だったか。
基隆に着いて景色を見ると、昨日訪れた岡山とは違ってかなり観光地らしい賑やかな所だなと思った。
駅前にはスクーターの宣伝広告として美少女がスクーターを使っているような広告があった。今時そういう広告は珍しくもないが、日本だと車やバイクでこのような広告は意外と見かけない気がする。ターゲットにしている層が違うのだろうか?バイク大国だから若年層向けの広告も充実しているのかもしれない。それとも自分のアンテナが低いだけか。
駅前から役政公園まで歩いていると、戦時中の防空壕があった。どうも最近公開されたらしく、観光客でごった返していた。ついでなので見学していく事にする。
中は狭くて蒸し暑い。人がいっぱいいるせいで余計にそうなるのだろう。それに地面も岩盤そのままなので所々で滑る。屈まないと通れない道も多く、爆撃が続く中これ以上に人がいっぱいいる環境に押し込められるのは凄まじいストレスになりそうだ。それでもまともな電源があるだけ戦時中よりはマシなのだろう。
役政公園までは山道を登って行く事になる。12月だけど日本より随分南にあるから割と暑いし日差しもキツイがそこまで長くなかったのは幸いだった。
その道中で中正公園という寺社を見つけた。向こうだとそういうのは廟というらしい。本命ではないので軽く見る程度にして目的地へ向かう。
ここまでは割と観光客も多く、観光客案内センターもあったが役政公園に近づくにつれて明らかにそういう見た目の人は減っていった。
役政公園
そして役政公園に着いた。まず目に入ったのは、駆逐艦の砲塔だ。アメリカから供与されたギアリング級の砲塔を改修時に取り外した物を展示しているらしい。恐らくこの砲塔は他の国でも中々見られないだろう。砲塔は自分の背丈より遥かに大きく、迫力と重量感に満ちている。露天で展示されている為いくらか劣化はしているが、全体的によく保存されていた。苔が生えているのも趣があっていい。
他にはM48A3戦車が展示されていた。砲塔を後ろに向け、トラベリングロックが掛かっている状態で展示されているのは珍しい気がする。車体の細部を間近から見られるのは興味深い。戦車の上に登るのは禁止されているが、触るのは問題ないようなので触ってみた。触っても正直鉄だなあという馬鹿みたいな感想しか出てこなかったが、日差しの中でも冷たくて触り心地はよかった。
水陸両用車のLVTも展示されていたのだが、周りに木が生えていて正面からはうまく見られない場所に展示されている。他の展示と比較して露骨に優先度が低い扱いなのが見て取れるのは若干かわいそうだった。
ここの広場にはもう一つ、アームストロング8インチ砲も展示されていた。解説パネルの文章には古物としてのなんらかの制度に登録されている旨が書いてあり、ここにある物の中では一番の目玉なのかもしれない。他の物より古いとはいえ個人的にはイマイチ納得いかないが。
この広場にある物は全て見たので次の場所へ。そこには駆逐艦のマストとスクリュー、碇が展示されていた。マストは菜陽の、スクリューと碇は貴陽の物らしい。艦種を問わなければスクリューと碇は日本でも割と見られるが、マストの展示は珍しいと思う。記念艦の三笠にでも行けば見られはするがあれは復元品だった気がするし。
この近くにはF-104とナイキ地対空ミサイルが展示されていた。どちらも国内で見られる物ではあるが、周りの景色が違うと見え方もまた変わってくる物だ。
ナイキは向こうだと勝利女神力士型と呼称されるらしい。ナイキの由来がギリシャ神話の勝利の女神ニケだからだろう。これに限らず台湾では外来語を音読みで済ませずに翻訳して呼称する例が意外と多い。レーダー→雷達のように音読みにした物もあるが。
F-104はかなり長い間展示されていたのかそこら中が腐食していたが、それでも露天で触り放題の展示は貴重である。日本だと自分は小松基地のゲートガードのF-4位しか知らない。これも航空祭だから触れたのか、普段の見学でも触れるかは分からないし。
大体の展示でカバーが付けられている事が多い主翼前縁も所々カバーが外れており、野菜が切れると言われる主翼の薄さがよく分かる展示なのは面白かった。
周囲の穏やかな雰囲気の中に佇む兵器を見るのは初めてだが、基地に配備されている物や博物館で丁重に保管されている物とはまた違った良さがあるのを実感した。どんな兵器も活躍の場が無いまま平和に退役して、最終的にはこうなると良いのだが。
この辺りは地元の人の散歩コースとして定着しているようで、そういった雰囲気の人がたくさんいる。お陰でちょっと面白い写真が撮れた。
兵器を背景にして犬が休んでいる光景だ。のんびりしている犬と兵器はミスマッチなように思えるが、写真に撮ってみると意外としっくりくる。それにいかにも平和な一幕といった感じでなんだか癒される。
日本も昔はその辺の道路の端に戦闘機が展示されていたという話を聞いた覚えがあるが、今でも残っているのだろうか。それとも撤去されてしまったのか。どちらにしても、ここの雰囲気は日本ではまず味わえない物だったのは確かだ。
二沙湾砲台
今回の旅行の目的地は概ね周り終えたが、近くに昔の砲台があるらしいのでついでに行ってみる事にした。別名を海門天険というこの砲台は1840年に建造された砲台だそうだ。この辺りは全然詳しくないので砲台の貴重さはなんとなくしか分からないが、立地上眺望はよかった。
他にも砲台や詰所跡があるらしいが、満足したので山を降りる事にする。この際長い階段を通って降りたのだが、ここがめちゃくちゃ危なかった。比較的緩やかな階段ではあるものの陽の辺りにくい場所だからか階段が湿っていて、苔まで生えている。つまり凄まじく滑る。手すりもあるにはあるが、木製だから腐食して壊れてたり、壊れてなくてもガタガタだったりでとても役に立たない。おっかなびっくり長い階段を降りるハメになった。
基隆港付近
先のヤバい階段を無事降りると湾岸地帯に出た。基隆駅へ戻る道中には日本統治時代の基隆要塞司令官の官舎があった。休業中だったので入ってはいない。
基隆駅付近まで来ると大きな展望台があった。基隆駅に着いた時から見えていた海巡署(沿岸警備隊)と海軍の艦艇を上手く見られそうだったので立ち寄ってみる。展望台にはアーティストのモニュメントなども置いてあった。
展望台を出ていよいよ駅に向かおうとするが、今度は基隆港の停泊所付近にたどり着いた。小型ボートなどがいくつか止まっているのだが、それよりも海巡署の艦艇の真横まで行けた事の方が印象に残っている。特に立ち入り禁止というわけでも、撮影禁止という訳でもなかった。イベントでもないのに沿岸警備隊の船の写真を間近で撮れたのにはテンションが上がった。
港も一通り見終わりいよいよ台北へ戻る。元々の目的は役政公園のみだったのだが、豪華なおまけがたくさんあって想像以上の満足感だった。余裕があればショッピングモールを覗いてもよかったかもしれない。
台北地下街から帰国まで
基隆から台北に戻り、飛行機の時間が来るまで適当に買い物して時間を潰す事にした。台北駅には長い地下街が広がっているのでここを見た後、上の適当なショッピングセンターを眺めて帰ろうと決め、まずは駅地下街から見る。台北駅の地下街は4つあり、オタク街といった様相で一番賑わっている台北地下街、ストリートの大半を使った本屋がある中山地下街、旅行者向けのお土産とか売ってる東森廣場K區地下街、微妙な雰囲気の站前地下街に分かれている。
この辺の細かいレポは他にいっぱいあるので簡単に紹介する。K地下街と站前地下街は自分にとって面白そうな物はなかったから印象が薄い。
中山地下街の本屋では様々なジャンルの本が売っていたが、中国語がダメなのが響いた。ラインナップには英語で書かれた雑誌もいくつかあったのは特筆に値する。
1冊だけ読めそうな本があったので買う事にした。日本統治時代に日本で出版された台湾を紹介する本の原文と訳した物を同梱した本だ。
明らかに古いデザインの表紙にあるひらがなと同梱してある訳注の冊子から、原本は日本語だろうと踏んで買った訳である。帰って開いてみるとちゃんと日本語だったのだが、かな使いが昔のそれなので結局読むのに苦労しそうである。実際まだ読めてない。すっかり本を積む癖が付いてしまったのは難儀だ。
台北地下街の方はそこら中に家庭用、スマホ問わずゲームの広告が貼ってあったり、大抵の店がTCGやフィギュアを取り扱っていたりで概ね日本のオタク街と変わらなかった。ただ何となく薄暗さというか、いかにもオタク街って雰囲気が日本のそれらより強かった印象がある。パブリックイメージのアキバとでもいうか。向こうはもはや随分味気ない場所だけれども。
並んでいる物も大体日本と一緒だけど、V系の品物が日本より多かった気がする。反面ウマ娘は日本ほどブームって感じでは無さそうだった。あとワンピとナルトは国内より多かったと思う。ポケカは向こうでも需要があるようでそういう店ならどこでも売ってた。シングルの相場なんか知らないがパックの単価は日本より高かったはずだ。もっとも他のプライズ系フィギュアとかも日本の相場より明らかに高かったからそういう物なのだろう。
オタク系ショップの他にもパワーストーン屋や服屋、食べ物屋など幅広いジャンルの店があり、台北駅の地下街は基本的にここだけ見れば十分だろう。
パワーストーン屋に小さな水晶玉が売ってたので買って帰る事にした。初の海外旅行なので流石に色々落ち着かず、それを鎮めるのにフクキタルのアクスタをお守りとして旅行に持ってきてたので、その記念に買おうという訳だ。自分で書いてて大分アレだが、実際役に立ったのは間違いないので仕方ない。
台座ありの水晶玉だと600元でちょっと高いので、400元の水晶玉単品を買って後日適当な台座を調達する予定だったのだが、店の人がサービスで台座も付けてくれた。
適当に時間を潰し終わった後は桃園国際空港から帰国。この日は朝のチョコ以外固形物を食べない日だった。人間食べなくてもどうにかなる物である。定期的にジュースやお茶飲んでたからそれでどうにかなったんだろう。24:00位に出る便だったので多少寝れたが疲れは取れなかった。羽田から適当に乗り継いで新幹線で地元へ。随分バタバタした旅行だったが無事に帰って来れただけでも大成功だろう。
まとめ
酷い流れで始まった台湾旅行だったが、想像を遥かに上回る楽しい旅行となったのは救いだった。土壇場で台湾に行こうって思いつけた自分を褒めてやりたい。まあその前にちゃんと手続きを確認しなかった自分を呪わなきゃいけないから差し引きゼロかな。マジで計画位ちゃんと立てようよ。
他にも台湾にはギアリング級を記念艦として保存している場所があるそうなので、どこかのタイミングでそこも行きたい物である。比較的航空教育展示館の近くだから次はその辺りに宿を取って色々見たいところ。
それから中国行き自体も諦めてはいない。再就職した後にしっかりビザ取って真っ当に行くつもりだ。仕事に慣れてそういう余裕が出来るのが先か、ビザ免除が先か、それともとんでもないことが起こって中国なんか絶対行けなくなるかの三択だろう。最後のは本当に勘弁してほしいが、そもそも選択肢に上がる位には物騒な世の中だし…。そういう意味でも今回行ってしまえればよかったのだがまあ仕方ない。
何より、どこに行くにしても現地語はもう少し覚えて行くべきだ。カタコトだろうが喋れないより百倍マシである。その辺を痛感する旅行でもあった。
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