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すべてはわたしの手の外に

「この脚本を書き終わったら、この原稿を書き終わったら、やっと産休。予定日まであと2週間あるし、たくさんnoteを書こう。忙しくて綴れなかったあれこれを書いて、妊娠期間を噛み締めて、スタイを縫って、子が生まれるその日に備えよう」

そう思って、妊娠後期の仕事をなんとかえっさおっさと終えて、昨晩の深夜1時にやっと原稿を納品したと思ったのに、朝になったら破水した。
眠っているとちょろっと水が漏れるような感覚があったのだ。でも、すこし血が混ざっていたものの本当にちょろっとだったし、前駆陣痛は2週間前ほどからだらだらあるだけで変わったところはないし。でもでも、夫が仕事に行ってしまう前に念のため確認をしておくか、と電話をかけると「来てください」と言われてしまった。

「念のためだよね」「なんかあったら嫌だしね」。
夫とそう言い合ったものの、内心「あ〜病院に電話しないでもう少し様子を見ればよかった。行っても帰れと言われるだけだろうな」と思いながら車に乗り込み、パン屋に寄って、すこし道を間違えて、中島みゆきの「悪女」を口ずさみながら病院について、内診が終わると「入院ですね」と言われたものだからびっくりした。

いまは入院中で、明日には促進剤を使うらしい。つまり、明日か明後日かそこらへんでは(おそらく)子が出てくるということだ。すごい。

妊娠中のnoteで書きたいことは山ほどあった。性別がわかったときのこと。安定期に入ったからと調子にのって仕事をしすぎたこと。老犬、母、わたし、わたしの犬で散歩をしながら感じた時間と命の流れのこと。夫と話したこと。思うように仕事ができなくて自立を失ったように感じた後期のこと。「この仕事が終わったら」と思いながらも、仕事自体も好きだからなかなか手が回らなくて、いつのまにか時が過ぎてしまって逃すこの感じ。とてもわたしの人生らしくて、ちょっとわらってしまう。


入院着に着替えたものの、実感がない。陣痛もない。なのに明日には産む準備をはじめるらしい。

ねえ陣痛ってどんなかんじ? 出産ってどんなかんじ? お腹にいた子は本当に出てしまうの? 胎動を感じるのは明日が最後? 夫が父になるのは明日から? わたしは母になるの? その子の顔はどんな顔? 促進剤って痛いの? あの出産時の女性のうめき声はわたしからも出るの? やっぱり痛い?
こわくて、不安で、涙腺がふるふると揺れてすぐに涙がにじむ。出産の怖さだけじゃなく、変わりゆく何かにおののいてしまう。それでももう、進むしかないのだという実感だけがある。「待って」と言っても止まらない。「いやです」と言っても産まれてくる。人生でいちばん恐ろしくて、早く眠ることよりもこうしてまとまらない文章を書くことで自分をなだめている(早く寝たほうがいいよね、体力必要だもんね)。

なにもかも、わたしの手の外にあるのだ。と、妊娠中なんども思った。

妊娠したいと望んでもすぐには出来なかった。想像していた性別ではなくて未知のなかに放り出された気持ちになった。おどろくほどお腹が大きくなって、幸せよりも戸惑いが優った。自分が自分でなくなるような感覚に陥って何度も泣いた。お腹が痛いときに限って胎動が激しくて半べそをかいた。いまから産休だと浮き足だったら予定日はまだ先なのに破水した。きらきらハッピー妊婦ライフとは程遠い、憂鬱と不安と少しの幸福がぐちゃぐちゃに混ざった妊娠期だった。なにもかも、なにもかもがわたしの手の外にある。20代はずっと、自分の意思で自分の道を決めて思うように生きていくことを目標にして必死で戦ってきたのに。

おなかの中でわずかな時間を一緒にすごしていた子は、あとすこしで外へでていく。あたたかで安全な場所から、行ってしまう。「もうすこし待って」とか「どうせなら早めにね」とか、わたしがいくら願ったって意味もなく、子は子のペースで、運命にしたがって世界に出ていく。わたしは、ただその瞬間を一緒に味わうだけ。そのことのなにもかもが、圧倒的な質量でわたしに迫ってくる。明日、会えるだろうか。明後日になるだろうか。なにもわからないまま、夜を浴びて、朝を迎えようと思う。出産に挑む、前日の夜の混沌の記録。きみよ、げんきで。世界で待ってる。





お仕事関係の皆様へ。早ければ7~8月ごろにはお仕事に復帰する予定です。復帰後、お仕事をご一緒にできることを楽しみにしています。
saeri908@gmail.com

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