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優先順位の総入れ替え

昨晩、会社の先輩と話していて「ワイワイ話しながらなにかアイディアを出し合ったりするような、ゆるいブレストをしたい」ということになり、早速複数人で朝9時に朝ブレストを開催してみた(先輩がその会自体を「朝マック」ならぬ「朝Mac」と名付けてくれたのだけれど、会に誘った同僚が「ぼくWinですがいいですか」と言っていて、残念ながら朝Mac+Winになってしまったが)。

できるだけ顔をみて話せるようにと、がんばって9時までにお化粧もして、夫がいれてくれたカフェオレ片手にいざはじめてみると、朝が苦手な皆がゆっくりゆっくり頭を働かせていくような雰囲気があって、とてもよかった。起き抜けにたのしいことを考えるのは心に良いみたいで、1日中やってみたいことで頭がいっぱいだった。まあブレスト自体はほとんどが「オススメ本を紹介する時間」で終わってしまい、終わった後に得られたのは、Amazonの注文履歴だけだったのだけれど。

でもさ8時に起きたけど、お昼寝しなかったよ。えらいって言って。

「リモートワーク、どうですか」とよく同僚と確認し合う。

なかにはやっぱり「家は、眠るだけの場所だと思っていたので、ぜんぜん居心地がよくなくて」と言う人もいるし「たのしくて仕方がないんです」と言う人もいる。わたしは後者だ。もちろんみんなと会えないのはさみしくて、もっと自由におでかけしたいと願うばかりだけれど、今の時間は罰よりはむしろご褒美のような感覚もある。


「優先順位が変わっていく感じがあります」


遠隔ミーティング中に誰かが言って、その瞬間は「ふぅん」と思ったけれど、ミーティングを終えて、あたたかなカモミールティーをいれてあのちょっと草っぽいまろやかな湯気を嗅いでいたら、「たしかにそうだな」と腹落ちした。

これまでずっと、仕事と夫との時間が第一だったから、おろそかにしていた諸々がある。食事をつくることも、掃除も、花に霧吹きをすることも、ぜんぶ「できたらやろう」と思って、無理しない生活。でも、仕事は移動時間がないぶん余裕が生まれたし、夫もおとといやっとリモートワーク中心に変わったので、丸一日一緒にいられたりもする。そうなってはじめて、「はて、わたしにとって、次にだいじなものはなんだっけな」となった。ヨシ、暮らしを整えよう。離れた家族とももっと話そう。読みたかった本も、観たかった映画も山ほど観て、この機会にやってみたかったことをしよう。最重要事項の在り方がコロッと変わってしまったからこそ、「時間をどう使おう?」と頭を悩ませ、そしてそれがおもしろくもあって。

時間のつかいかたが変わると、価値観が変わる。
なにか人生において大事なものをいま知ろうとしているのではないかという気さえする。

もちろん、仕事は変わらずあるので時間が無限にあるわけではなく、やらなくちゃいけないことだってあるから、「ああ今日も時間が足りなかった」と遊び足りないこどものような気持ちで眠る。まあ、わるくないんじゃないの今の時間も。と、不幸中の幸いを味わい尽くしている欲張りなわたしなのであった。



ちなみに、ついに夫婦ふたりともリモートワークになり、一家総リモートワーク。ついつい遊びすぎてしまうふたりなので、本当に集中できるのかな…と不安にも思ったが、なんの問題もなかったのもうれしい。仕事部屋で、ふたりで肩を並べてまじめにパチパチとパソコンをたたき、「おひるつくるけど、食べる?」「食べる」と話して、コンビニへ行くがてら道中の桜をさらりと鑑賞して帰ったりする。そうしてまた、仕事にもどる。ふたりとも別々の音楽をききながら。ふたりきりでこもっていると、ピリピリしたりしないかとちょっとだけ不安に思ったけれど杞憂だったみたいだ。

先日、インスタのストーリーで質問企画をしたら
「他人と暮らすのは、むずかしくないですか」という質問がきて、ちょびっと考えこんでしまった。

結局「おたがいに、自分のことは自分でできるふたりなら、なんにもむずかしいことはないですよ」と答えたのだけれど、自分のことは自分でできるようになったから夫婦になれたのか、夫婦になったから自分のことは自分でするようになったのかは正直よくわからない。

でも今は、夫もわたしも自分のことは自分でできるし、そのうえで「一緒にいる」ので、どちらかの存在が負担になるようなことはほとんどなく、基本的には楽になる一方だというのは事実。だし、そういう二人でいたいと願うから、甘えすぎそうになったときも自制して、お互いの存在によってお互いがより自由になれたらいいなと祈り、「なんにもむずかしくない」になっているのかもしれない。どっちが先か、わからないけれど、なんでもいいやこれを続けていけるのなら。

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