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世界がひらける言葉の話


中島みゆきさんの歌に、こういう歌詞がある。

『失えばそのぶんの、何か恵みがあるのかと、つい思う期待のあさましさ』

はじめて聴いたとき、わたしは心の中で膝をちいさくかかえるようにして過ごしていた。「あのときこうしていれば何か違ったのか」「そもそもわたしの道は全て間違えていたのだろうか」なんて思考をぐるぐる回して、半ばふてくされながら世界を恨めしい目で見つめ、実家の近くにある川をよく眺めていた。まっすぐ進んで二度と帰ってこない大きな川の流れが、健やかで羨ましかった。

その時に、聴いたこの歌は、一言でいえばただただ”衝撃的”。
そうかぁ、「今これだけ辛いのは、いつかの幸せのため」「あれをやったらこれが得られるかも」なんて、”あさましい”んだなぁ。何かのために何かがある。そういう因果関係を期待してしまうのは、浅はかなんだなぁ。

歌はこうも言った。

『何ゆえと告げもせず、
猛スピードで 猛スピードで 人生は希望を振り払う。
やっと見上げる鼻先を 叩きのめすように日々は降る。
そんなにまで そんなにまで 人生は私を嫌うのか、な』


当時、姉は歌を聴いて一言「なにそれ、つら」とつぶやいたが、わたしはただただ事実をありのまま受け止めているようなそんな雰囲気があって、むしろ軽やかさがあると思った。逆もそうなんだろうと、その歌詞は思わせる。何かを得たら、何かを手放せ。なんてこともない。

のちに中島みゆきさんは「見返りを期待しないところから、世界は開けるのではないか」とインタビューで語っていた。

ー「負けんもんね」の「失えば その分の 何か恵みがあるのかと
 つい思う期待のあさましさ」というところなんて‥‥。失った分、何かを得るんだという発想が、人間が生きていくうえで、最後の救いのような気がするんです。 

中島:いやいや。見返りを期待しないところから、世界は開けるんじゃないんですか。

(中略)

中島: 絶望的に見えるって、今までのいろんな曲でも言われることは、ままあるんですよね。それ以上のものを信じることができれば、それは些細な絶望じゃないですか。
引用元: https://www.1101.com/miyuki2010/2010-10-29.html

歌はそうしてサビへ向かう。

『負けんもんね 負けんもんね 涙ははらはら流れても』
『負けんもんね 負けんもんね 負けとる場合じゃないんだもんね』


あれから7年くらいは経った。今でも思う。
失う時は失う一方で、得る時は得る一方だなと。
因果関係がある出来事というのはむしろ”優しい”。対処すべき問題が明らかになっているほど、容易なことはない。仕事で失敗をしたり、恋愛で自分の行為が不幸を招いたり、安易な一言が炎上したり、コンプレックスで前へ進めなかったり、友人とぶつかったり、そんなのは向き合う先があるだけ簡単なことなんだろう。

基本的に降りかかる災難に因果関係はないし、誰かの意図もない。気合いなんて簡単にへし折られるし、思ったように事は進まない。当然だけれど世界はわたしに合わせてくれない。悲しい気分であっても、辛い気持ちであっても。わたしと関係なく回る世界。

それでも、負けとる場合じゃないんだよね。


「誰かは、世界は、わたしのためにあるわけじゃない」とわかったところから、世界はひらける。それはたぶん愛においても同じだろうと思う。



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