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ヤーチャイカの詩(3章 分析)

ニュースの時間 哀しくなるけど
半径1メートルに救われる
違う割合の同じ愛で
そばにいさせてくれないか

すぐ会えない人 もう逢えない人
離れていても地球は回る
君の今日は私の昨日
声を聴かせてヤーチャイカ

来たるべきもの 過ぎてゆくもの
Las! Le temps, non, mais nous nous en allons. (時でなく過ぎゆくは私たち)
CARPE DIEMと君は笑うが
右手に光るギュゲスの指輪

1章で、半径1mの世界を、2章で、遠くの世界を書いた。
ふたつは、距離の世界の話。

3章では、時間の流れと最近考えていること。

フランス語で、「未来」という単語は 〈avenir ← à + venir 来る〉「来たるべきもの」と書いて「未来」という単語が成立している。
一方、「過去」は、〈passé ← passer 過ぎる の過去分詞〉で、「過去」。
未来を「来たるべきもの」というところに、「私にとって必要なこと、どんなことであっても私に起こるべきこと」という印象を持っている。
こういうのを知れるからフランス語は面白い。
面白いから、書いてみた。

でも、ロンサールは、こういう。

Las! Le temps, non, mais nous nous en allons.

時でなく、過ぎゆくは私たち、かぁ。
私たちがオールを漕がなければ、来たるべきことも起こらないのかも。

〈CARPE DIEM〉は、「今を掴め」
過去や未来に囚われずに、今を楽しめという人もいるけど、
ギュゲスの指輪が、道徳心を監視していて、そうは、簡単に選び取れないよね、と笑う様子。

最近のイメージを詰め込んで、一貫性はないかも。
ただただ、私の頭の中のシナプス回路を言語化した感じ。
でも、好き。

人に見せるのは緊張する。その後に襲ってくるであろう虚無感が怖いから。
でも、届いて欲しい人には届いたみたい。それは受け取り手の状況によるので、私がどうこうできる範疇とまた別のところで、何かが繋がったようだから、嬉しい。

また、こんな詩が書けたらいいな、と思っている。

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