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あァ、良かったな、ひらがながあって。


読み進める前に、、、

心が元気ではない時には読まない方がいいかもです🌱
こういう但し書きが無く、迂闊にも読んだ文章で、ひとり落ち込むという経験が何度もあります。

あと、いつもはもう少し、誰かが読むことを意識して書いてますが、今回はそこまで考えきれなかったことを先に書いておきます。
自分がスッキリしたくて書いた文章って、人をモヤモヤさせるんじゃないかと不安です。
読んでもらえるとしたら、元気な時に読んでもらえればと、思います。




今日のスタンディングデモは、なんか色々あったな。

昨日は、しっかりマイクを持って、簡潔に話せたんだけど、今日は、もう誰にも届かない気がして、諦めちゃった。
心を強くするよりも、無にした方が楽だなって思った。
強くも、無にも出来ないし、したくないんだけど。

嬉しかったのは、友だちがチャリで通りすがりに署名してくれたこと。
出会った時から、なんだか好きで、沢山会ってるわけじゃないんだけど、よく今日も元気かなァって思い出しちゃうような。
見かけて声かけたら立ち止って署名してくれた。


みんなに会えた時だけ、無敵な気がした。

複雑なこともあった。
私は、生まれてから一度も痴漢や、不審者による声掛け事案に遭遇したことはない。
ただ今日は、驚くことに、私の方から、以前、友だち2、3人が遭遇した不審者に声を掛けた。
スタンディングしている私たちを見ている人がいたので、フライヤーを渡しにいって、署名をお願いしたら、署名してくれて、「ありがとうございます!」と伝えた後、最後に、「ベルト、かっこいいね」と言われた。
そこで、「あ、この人か、、、」と分かった。
そのセリフのことを友だちから聞いていたし、風貌も聞いていた通り。

でも、まず私の頭の中に出てきたのは、「署名してくれたから、いっか」

私が私の友だちだったら、
「いやいやサエちん、いくら署名してくれたからって、いろんな人にベルト見せてって声掛ける不審な人を許容するこたァないよ」と肩をポンポン叩いてヨシヨシしてるかもしれない。

でも、本当に嬉しかった。
署名してくれたから、私に対してだけのゾワっと感は、なんてことないって思った。

その人にモヤモヤするよりも、素直に喜ぶ自分に、モヤモヤした。
喜んでいいのかな、喜んでますけども。
なんか、こうやって私の中の人間性がズレたりしていくのかな、とも考えたりして。
すんごく遠回りにダメージ受けてる私に対して、ジェノサイドを目の当たりにした子どもたちは、この世界をどう見ていくのかな。

心と相談して行けそうな時だけ、スタンディングデモに参加している。
ほとんどの人から聞こえないふりされて、見えないふりされてるから、ひとりでも署名が集まれば、それだけで、よかった。毎回、知らない誰かが署名する横で泣きそうになった。

photo by 白木さん


もう、「ぎゃくさつ」とか「ころされている」とか、言いたくもない。
書きたくもない。

通町筋を子どもと歩く親たちも、そんな言葉を街中で子どもの耳にいれたくないだろうな、とは思いつつも、だったら、署名してください、と思った。
だって、もう起きていることだし、いつかその子たちが教科書で知る頃、自分の親がぎゃくさつを黙認してたなんて嫌じゃないかな。

漢字を見るたびにゾクっとするから、せめてひらがな。
ひらがながあって良かったな、としみじみ思う。

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