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チベット便り009 そうだゴンパ行こう。

From Tibetan Camp

Believe nothing. No matter where you read it or who said it,                         No matter if I have said it unless it agrees with your own reason and your own common sense.                                                               
    何処かで読んだことでも、誰かが言ったことでも、たとえ私が言ったとしても、 あなた自身の理性と良識で同意できない限り、なにも信じてはならない。 

ブッダの言葉と言われたり、ブッダの言葉じゃないと言われたりする名言

ヘッダーの写真は、タルチョー(五色布)と、車輪と鹿のエンブレム。エルマ鹿を名乗るくらい鹿が好きなのは、標高800mで過ごした思春期に野生の鹿とちょくちょく会っていたことと、大好きだったリヴァーフェニックスの映画「スタンド・バイ・ミー」のゴーディが夜明けに線路で鹿と視線を交わすシーンが好きだったからかもしれない。害虫や害獣や雑草などと言うのは人間が決めたことであって、当動物や、当植物から言わせれば、人間こそが害獣だろう。と常々思っている。

チベタンキャンプの小さな本屋さんで買ったノーリッジカードの説明を読んで、私が無意識に感じていた鹿に対するイメージは間違っていなかったと思った。
「鹿は、他の生き物を傷つけず、連夜同じ場所にとどまらない。鹿の優しさと優雅さは、仏僧の自制と安穏を表しています。チベット芸術の風景に描かれることの多い「対の鹿」は、純潔、忠誠、幸福、長寿、非暴力を象徴しています。」

車輪と鹿の紋章。8 本スポークの金の車輪の記章は、雌鹿 (右) と雌鹿 (左) に挟まれており、ブッダの最初の説教を表しています。ベナレスの近くのサルナートにある鹿公園で与えられ、「ダルマの輪の最初の回転」として知られています。ここで彼は 4 つの高貴な真理と 8 つの高貴な道を 5 人の托鉢僧に教えました。他の生き物を傷つけず、連夜同じ場所にとどまらない鹿の優しさと優雅さは、僧侶の放棄と静けさを表しています。チベット芸術の風景に描かれることの多い「対の鹿」は、純潔、忠誠、幸福、長寿、非暴力を象徴しています。鹿やカモシカの皮は、一般的にインドのヨギの瞑想用の椅子として使われ、アヴァロキテシュヴァラ(観音菩薩)は、彼の偉大な思いやりの象徴として左肩にカモシカの皮を着けています。

Tibetan buddhist symbols knowledge cars by Robert Beer

夕方、ヤサグレてきて舌打ちやFワードを吐く回数が増えてきたので、     ゴンパに行ってみようと思った。

キャンプ内を歩くだけでも、たくさんのラマに出会えて、なんか心強くなる。今時のラマは、スマホやタブレットを使いこなし、空色のビキニパンツも履く。 空色ビキニのお話は↓

ボブマーリーの「ワンラヴ」Tシャツに蝦色の袴という若いラスタなラマもいた。写真撮りたかったけど間に合わなかった。

さて、またマニ車ルート。

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The daily life in Tibetan camp


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Beautiful Tibetan lady with Dalai Lama14th

ダライ・ラマ14世バッチをつける、いつもおしゃれなお方。

別の日。左端のお方。ね、おしゃれでしょ?隣の方は、ポータブルマニ車。

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The daily life in Tibetan camp

マニ車(マニコロ)は、円筒形で側面にはマントラが刻まれており、内部にはロール状の経文、真言や、大型のものでは1秩がそのまま納められている。大きさは様々で、手に持てる大きさのものがあれば、寺院などでは数十センチ、大きいものでは数メートルにも及ぶマニ車が設置されている。
チベット仏教とボン教の混在地区などでは、仏具店でマニ車を購入しようとすると、どちらの宗教かを聞いてから内部にその宗教の経文をセットしてくれる。
マニ車を右回り(時計回り)に(ボン教の場合はマシモ車を左回りに)回転させると、回転させた数だけ内蔵された経・真言を唱えるのと同じ功徳があるとされている。

くるちゃんメモ


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数珠 マーラー

数珠(マーラー)                           Mala は、マントラを唱える回数を数えるために使用される数珠のサンスクリット語です。マラは世界中のチベット仏教のコミュニティに遍在し、手首に巻き付けられたり、指からぶら下がったりして、om mani padme hum、om tare tuttare ture svaha(ターラーマントラ) などのマントラのハミング暗唱を伴います。チベット語ではトレングワと呼んでいます。チベット仏教の修行の一般的な部分は、特定のマントラを数千回または数十万回(精神的にまたは声に出して)繰り返すことであるため、霊的なそろばんのように、祈りの数を数えるために数珠を使用すると便利です。積極的に数を数えていなくても、マーラーを1数珠ずつ進めながらマントラを繰り返し唱えることで、集中力を高め、心を落ち着かせることができます。最も一般的なタイプのマラは、貴石または半貴石、木材、種子、または骨で作られた 108 個のビーズのストリングです。ビーズごとにマントラを唱えるたびに、100 回のマントラの朗読を完了したと見なされます。余分な 8 個のビーズは、途中で発生する可能性のあるミスカウントやミスを補うための「予備」です。他のものよりも大きなヘッドビードもあり、「グルビード」と呼ばれることがよくあります。このビーズにはグルを表すなど特別な意味があると考える人もいますが、実際にはこのビーズはサーキットのスタート地点であり、108個のビーズには数えられません。

くるちゃんメモ

マーラーを持っていつもゴンパ前の広場にいるご婦人は、祖母に似ていた。家族に見せようと、お顔を撮らせて頂きたかったが、カメラに気づくと顔を背けるので、背後から撮らせて頂きました。

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The daily life in Tibetan camp

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