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人生100年時代を100年前から実践していた祖母の話

こんにちは。ワカルク代表の石川です。

今日は、1918年生まれで98歳で亡くなった私の祖母の話をしたいと思います。

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私の実家は、戦後の焼け野原の時代から続く創業70年を超える焼き鳥屋です。
祖父母が創業し、祖父は71歳で亡くなったのですが、祖母はそこから亡くなる5年前、93歳まで毎日お店に立ち続けました。


さすがに80歳を過ぎると耳も遠くなり、お客さんの注文を何度も聞き返すということがありましたが、常連さんはそれも理解してくれていて、初めから大きな声で注文をしてくれていました。

耳は遠くなったものの頭の回転はとても早く、お会計はレジよりも正確で、江戸っ子らしくチャキチャキと話す祖母。まさにお店の「看板娘」でした。

毎日きちんとお化粧をして、お店に行く道すがらにある稲荷神社に必ず手を合わせ、パリッと糊のついた白い割烹着を来てお店に立つ。

趣味はお芝居で、お店が終わった夕方や休日にはよく歌舞伎座や明治座に観劇に行っていました。



80歳になっても、90歳になっても自分の収入があり、趣味に自由にお金を使える祖母のことを、私はカッコいいなぁと誇らしく思っていました。

そんな祖母の背中を見ていたからか、私には「定年」や「老後」という概念がなく、生涯働き続けること、もしくは社会と接点を持ち続けるということは当たり前のことだと学生時代から思っていました。それが私の今の仕事スタイルにも繋がり、将来のビジョンにも繋がっています。

人生100年時代をカッコよく生き抜く。

私の中に流れている祖母のDNAに感謝しながら、私らしい生き方をこれからも自分で創っていきたいなと思います。

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