見出し画像

きみあい、ぼくあい

人生の選択。
それは小さいことを言えば、朝ごはんにパンとご飯どちらを食べるか。大きなことを言えば、それはきっと人によって異なるだろう。

私は先日彼氏と別れることになった。
振った振られたと言うより、お互いが納得しての結論。
私からしたら彼が強すぎた。
彼の口から発する言葉、言い方…。
あとは、自分の気持ちや感情を大切にする私とは対角な、心の気持ちを一切考慮しない、論理的かつべき論思考。
喧嘩や話し合いになるとさらに凶暴な言葉で私の心を傷つけてきたり、もっと〇〇すべき、〇〇になるべき、と言う発言が多くなってきた事が原因。

だから、付き合っていく上で自分が惨めなのかと思い始めた。何かが出来ない、足りない…。
自分自身の価値や、なんなら親の育て方まで否定さているような、そんな伝え方。
彼はそんなつもりで言ったのではない、と。けど、受け取る側はとても辛い。

私の今までの生き方が間違っていたのか、選んできた道は間違っていたのか、ならば一体どこがダメだったのか、どこから踏み外してしまったのか。

そんな気持ちでいっぱいになってとても辛かった。
親しい友達の助言もあり、何とか別れることができた。

これを呼んだだけでは悪い人にしか見えないけど、好きになったには訳もあって、いい所や尊敬出来るところもあって、それを知っているのは紛れもなくこの私だけ。
だから、沢山傷ついた分、沢山支えられたり、暖かい温もりを感じて安心感を与えてくれることも沢山あった。

そんな、嫌いになった訳では無いけど、別れたと言うこの結論に、後悔はないが、涙も止まらなくて、とても不安定な気持ちだった。

そんな時、私の尊敬する人から、ある映画の話を出しながら、慰めの言葉をかけてくれた。
その映画は
「僕が愛したすべての君へ」
「君が愛したひとりの僕へ」
通称「僕愛・君愛」

パラレルワールドを題材にした恋愛映画だが、「人生の選択」という深いテーマを中心に描かれている。

今までの人生の中様々な選択をしてきていて、本当にこれで良かったのか、こんな自分で良かったのか、そう思ってしまう時は私は出てきてしまうけど。
だけど、その道を選んだにはきっと何らかの理由があって、選ばれるべくして選んだ道なんだと。

今自分が歩んで来た世界では、失敗してしまったこと、それが成功する道を選んだとしても、成功したものが失敗する運命だったり、
何かの才能がかけていて、その才能を持てる道を選んだとしても、今持っている他の才能がかけてしまったり。

違う道を選んだとしても、上手くいかないことや苦しいことが別の事象として現れる。

だから、今選んでいる道が正解とか間違いとかはなくて、「私らしい」人生を歩む道がしっかりと出来ている。
完璧な人生、完璧な人なんていなくて、「私らしい」人生を歩む、そこに意味があるんじゃないかって思わせてくれた。

ダメなんて人はいない、そして、だめな部分も含めて自分を受け入れてくれる人がきっとそばにいる。
そんな人達を大切に生きていくことが、今の私のスタートなんじゃないかと。

ありのままの自分を受け入れてくれて、これまでの人生やこれから歩む道の選択を、そっと背中を押してくれるような、そんな感覚になった。

大丈夫、ありのままの私でいい。
ありのままのあなたでいい。

ありのままのあなたがいい。
ありのままのあなたが、素敵。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?