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かなわない

こういう非常事態になると、「あの人ならなんていうかな」とつい思い出す人がいる。
 
その人はもうこの世の人ではないので、なにか聞きたければ霊媒師にでも頼むしかないんだけど、出会ったのは私がまだ20代の頃、当時とある百貨店で売り子として働いていたときだった。

その人は私に人生を変えるくらいのインパクトを与えた人だった。どれくらいインパクトがあったかというと、その人と別れたあともその影響下から抜け出るのに何年もかかり、未だにその人のことを書こうとすると恐怖で心臓の動悸が速くなるくらいだ。
 
恋愛とかそういうんじゃなかった、と思う。
なぜなら、一緒にいるあいだじゅう、その人と私はお互い食うか食われるかの精神のたたかいをしていたからだ。
 
その人はいま思うに精神疾患をもっていた。
どういう病名かはわからないけど、ときどき人が変わったように怒鳴り出したり、ありもしないことを口にしたりした。
おかしくなるとどういうわけか私がスパイに見えるらしく、浴室に閉じ込められたり、木刀をもって追い回されたり、逃げると今度は自宅だろうが職場だろうが、出ると切れる無言電話が一日中かかってきたりした。

なのに、また会うとケロっとしている。
その落差が恐ろしかった。

当時その人とは家族ぐるみで付き合いがあったんだけど、一番大変だったのはその人のお母さんだったと思う。
自由業なので羽振りのいいときはいい。でも仕事がなくなるとたちまち金銭的に困窮する。
その人の状態がとくに悪くなるのは経済状態が悪くなった時だった。
そうすると手がつけられない。早く逃げてしまいなさい、とその人のお母さんには何回も言われたけど、当時その人に心酔しきっていた私は一切耳を貸さなかった。
 
なぜなら、精神疾患をもつ人にありがちなこととして、その人も普段はたいそう魅力的で、ひとをひきつけて離さないものをもっていたからだ。
しかも博覧強記というんだろうか、その人はおそろしいほど文化芸術全般にたいして造詣が深く、そしてそれを仕事にもし、当時イケイケだった業界最前線の人たちを相手にそれなりの業績をあげていた。
たぶん彼が亡くなった今も、仕事だけでかかわっていた人はその「裏の顔」を知らないはずだ。

後年、メリル・ストリープ主演の『ソフィーの選択』という映画を観たとき、精神疾患をもつソフィーの恋人ネイサンの目を見た瞬間、「あ、これだ」と雷に打たれたように納得したのを覚えている。普段は陽気で聡明なのに、急に人が変わるのだ。ネイサンを演じたケヴィン・クラインはそれを忠実に再現していた。あの人が憑依してるのかと思った。役者さんは本当にすごい。
 
そんな人物に当時創作の衝動をこじらせていたしがない小娘が出会ったのだ。向こうにしてみれば赤子の手をひねるより簡単な相手だったろう。
というより、私は自ら望んでそこに飛び込んでいったのだ。なにかヤバイ相手であることを本能で感じながら、このどうしようもない閉塞した人生が変わることを無邪気に信じて。
 
なにしろ、その頃の私ときたら『2001年宇宙の旅』でいえばモノリスに触る前のサルみたいなものだった。
(今だってサルみたいなものだけど、とりあえず石オノくらいは手に入れてると信じたい)
たとえばいま考えるとたいそう恥ずかしいことに、当時の私は勤めていた百貨店の昔ながらの思想に染まり、「良き〇〇(店の名)人になりたい」なんて真顔で口にするような人間だったのだ。
 
で、その人は私のその言葉を聞いたときに一笑した。
 
「おまえはバカか」
 
福音だった。彼は正しい。今ならわかる。でも、その頃の私はあまりにも周りに手本となる人がいなかったため、彼にそう一刀両断されたときは目が覚める思いだったのだ。
 
そうか、私はバカなのか。
ならば、なにを信じればいい?

溺れかけた人間にとっては、目の前に浮かんでいる電気クラゲすらも命を救う浮き輪に見える。
私はクラゲに刺されるのを承知で、目の前のそれにしがみついた。
 
いまこうやって書いていても手足がどんどん冷えていくのがわかる。あれから20年以上経ったいまも、たぶんまだ心の中で整理がついていない。
彼自体がこわいんじゃない。あれはいったいなんだったのか、その経験の意味がまだわからないから今でもなおこわいのだ。

あの人がただのDV洗脳野郎だったらどんなに話が簡単だったろう。
けれども話はそう単純にはいかない。なぜなら、今の私がその後の人生で得たもの、その土台はまさにこの時期に彼とのかかわりによって培われたものだからだ。

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