【昔話】今からくだらない話をしよう

皆さんは、最初の記憶はどこからはっきりしているだろうか。
幼稚園(保育園)?
小学校?
母親のお腹の中、なんて人もいるかもしれない。

自分は、中学三年生、十四歳の時だ。

厳密に言うと、それ以前の記憶が全くないわけではない。
しかし、正直それが自分の記憶だと、確証が持てない。
例えば、修学旅行に行った記憶があるとしよう。
友達と、あちこち観光地をフィールドワークした。
それは恐らく事実としてあるのだろう。
しかし自分には、そうした記憶に感情がついてこない。
面白くない映画を見ているような、そんな気分になる。

思い出しても思い出しても、自分の物ではないような、そんな、感じ。

……話を戻そう。
中学三年生、十四歳、の筈だった自分の記憶は、精神科病棟の保護室から始まる。
まるで、独房のようだと、正直自分は思った。
着ていた制服は、「首を吊る恐れがある」と言われ無理矢理没収された。そのポケットに入れていたカッターナイフも勿論。
だから、半袖半ズボンの体操服で、震えながら自分は目覚めた。

過去の記憶に確証が持てない。
自分がどういう人間だったかわからない。
親に愛された記憶も、友達と遊んだ記憶も、勉強を頑張っていた記憶も、何もかも、あった筈なのに消えた。
残ったのは、自分でない自分と、よくわからない記憶。

「死ねばいいのに」
「この金食い虫が」
「ついてこないでよストーカー」

断片的に思い出してしまう嫌な記憶。
原因に、「心当たりのない」嫌な記憶。

十四歳の自分は、そのとき心が折れる音を初めて聞いた。
パキン、って音がした。ガラス細工が少し折れたような、そんな乾いた音。

自分は消えてしまった。
なら、今生きている自分は何?誰?
ない頭で考えた。
結局、確証の持てない、元の自分を模倣することで、数年命を繋いだ。
息苦しかった。

今は、少しずつ自分を創ろうとしている最中。
この年齢になってようやく、「元の自分だった人」の年齢から、少し成長できてきたと感じる。
逆に言うと、そこまで歳月をかけてしまった。

時々思うことがある。
もし、自分が、元の自分のままで成長できていたなら、自分は幸せでいられただろうか、と。
今が幸せでない、という訳ではないけれど、やっぱり考えてしまう。

自分が、元の、十四歳までの自分の代わりに、生きていてよかったのかと。
今の自分は本当に、自分でいていいのだろうかと。

(なお、この話はフィクションであり、この語り手である「自分」は何者でもない一般人であることを、追記しておく)

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