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天使のエレベーター

天使は何故空から降りてくるものだと思い込んでいたのだろう。

天使の梯子なんて大層な名前の陽射しが
天使は地上から登るんだなって、初めて気がついた。


深い青に日が滲んで明るくなる辺り。
早朝、私の散歩道の先で、薄汚れた白の塊を見つけた。
猫か何かの動物が倒れているのかとぎょっとし、少し立ち止まり、悩み、周りを見るが人通りの少ないこの道で見向きする人は居らず、恐る恐る近寄った。
動物病院は開いていたかしら、もし悪い想像通りならばどこに連絡をするのが正解かしら、などと嫌な想像で頭が回る。

南無三、と近寄り目を凝らすと、翼のようであった。
何かのではなく、翼そのもの。動物のものがちぎれているのかと青ざめるが、どうやらそうではないらしい。つるんとした付け根の綺麗な右翼であった。誰かが落としたのであろうか。

足を折り近づきまじまじと見てみると、名前シールのような、タグのようなものに「アマツカ」とある。油性ペンで書かれたであろうか。掠れのない文字の下に0から始まる11桁の番号があった。

「このご時世に電話番号を書いたもの落とすのは怖いな…」

どうやらそうらしいので、早速電話をしてみる。
こういう予定外の事態は早く済ますに限る。私の早朝の散歩は誰にも出会わず、何事もなく、静かに終えるのが通例なのだ。
しかしながら、この落とし物は見逃すことは出来ない。
自分から近づいてしまったからには、なんとかしないと後で大きな後悔となり私を襲う。

数コールの後、慌てた声が電話に出た。

「っはい!天塚です!」

はっと息を吸う。他人と話すのはいつぶりだったろうか。
気分の良い日に散歩をする、そんな特別感に囚われ失念していたが、私は、

「もしもし?」

私はなぜ電話なんかかけてしまったのか。履歴も電話帳も家族のものしかない。轢かれた動物でなかった安心感から判断を見誤った。手の汗でスマホを落としそうな錯覚に襲われる。落とせたらよかったのに。顔が熱く、動悸がひどい気がする、心の臓が痛む気がする。痛いのかもしれない。

「…あ」

と自分の発した声と、重なって聞こえる声は、電話の中と外から同時に聞こえた。

「あー!はね!あった!見つけていただいたのですね!ありがとうございます!本当に良かった!もう!早々どうしたらいいかと!本当に助かりました!」

私が何か言葉を発するまもなくマシンガンのように話す人は、私の後ろから声をかけてきたようで、振り向いた先には朝日に照らされる白金のふわふわとした髪と真っ白の顔の人がいた。

「お電話ありがとうございます!天塚と言います!おそらく昨夜落としてしまって、さっき気づいたんですけど、どこで落としたか本当にわからなくて!昨日と同じルートをなんとかほぼない記憶を辿ってきてみたら、大きな体躯のあなたがそれを持っているのが見えまして!助かったー!また上司に怒られるところでした!」

えへへと笑う天塚の背には片方にだけ翼があった。どうやらその片割れが、今私が持っているものらしい。髪の毛はボサボサだが、小綺麗なスーツを着たその人はA4サイズの入りそうな革鞄を持っている。

「あの、こ、これ」

と薄汚れた翼を渡す。
朝に似合わない音量で、お礼と感謝と賛辞の言葉を伝え天塚はそれを受け取った。どうやら今から出勤のようで、今朝気付いた落とし物を早くから探しに出てきたようだった。

「あちゃーやっぱちょっと汚れちゃってますね…あーコインランドリーってここら辺ありますかね?」
「あ、そ、それならそこの角を曲がった先に…」
「そうなんですか!ラッキーだなあ!あ、お兄さん時間あります?あ、あと、小銭あったりします…?」

あっけに取られていた自分は、緊張というものを忘れてしまったようだ。
こちらが聞くまでもなく天塚は話を続け、コインランドリーに行き、ポッケに入れていた散歩帰りのジュース用の小銭で天塚の落とした翼をドラム洗濯機に入れた。

昨日えらく飲み過ぎて、家に帰った記憶はほぼなく、けど風呂には入ってたんですよ!偉いですよね!と話す天塚。けどねー知らない傷が増えてて、多分翼落とした時に転んだんでしょうね!あ、これよければ!と飴玉を私に差し出す。そして擦りむいたであろう膝を見せてくる天塚。
デカデカとはられた大判のバンソウコを見ながらなんなんだこいつは、と思うと同時に、緊張していた自分がどうでも良くなってきた。
なんてダメなやつもいるものだ。私自身もダメなやつだと自信を持っていたが、そんな自信は少しばかりならば捨てても良いかもしれない。
そのようなことを考えながらコインランドリーの小さな椅子に腰掛け、いかに昨日の酒がうまかったか、羽を落とすのは3度目で上司にこっぴどく叱られたか、名前と番号を書いたのはそのため、もう予備がないので翼が見つかって良かった、などどくるくる回る表情と話を見聞きしていたら、色々とどうでも良くなってきた気がする。

あーちょっと疲れてきたぞと、飴玉を口の中で転がしながら適当にうんうん頷き相槌を打ちながら思ってたその時に「ピー」と洗濯終了の音がする。

「お!終わった!ちょっと生乾きかもですが、8割OKですね!うん、乾くでしょう!やっぱり身なりがね!厳しめでして弊社!白くないと色々クレームあったりする時もあるんですってやっぱり!本当にありがとうございます!何から何まで!財布忘れてきちゃって!ICカードだけ持っててセーフ!って思ったんですけど全然セーフじゃないですね!本当に助かりました!」

笑んながら深々頭をさげる彼のつむじは2つあり、後頭部にえらい寝癖がついているが、私は知らない。上司とやらに怒られてしまえ。

「あーお礼をしたいのですが、ご連絡先ってのは伺っても?」
「あ、あ…」
「あーやっぱり気になりますよね、でもお金も借りちゃいましたし、お返ししないと…それにこういう時はちゃんとお礼しないとって上司の教えなんですよね…」

うんうん唸る彼に、帰りたい欲が強くあった私は携帯番号を教えることにした。話の中でくれた名刺通りだとしっかりとした企業のようだし、記載の番号も翼に書いていたものと多分同じだ。それに電話帳も履歴も家族のものしかない自分には、いざとなっては番号を変えることなど造作もない。もとよりこのお馬鹿な様子だとどうにもならんだろうが。

片翼がややふかふかの彼は、また深々と頭をさげながら出勤していった。
後頭部の寝癖をふわふわ跳ねさせながら小走りでかけていく彼の髪はもう登った朝日に輝いていた。周りもちらほらと外に出る人がみえ、私も帰路につく。

彼の職場は天へ人を運ぶ案内人だという話であった。所謂天使、というものらしく、そんな職もあるのだなあと話を聞くが色々と発展による変化があるらしい。
従来の天使の梯子はバリアフリーでないということや、人員削減のため複数人が一度で運べるエレベーターになったようだ。しかしながら、地上に待合室はないし、あまりに大きいと天から刺す光があまりに眩しいと苦情が来たので小振りのエレベーターが複数できたと言っていた。
また、彼は昔のエレベーターガールのような配属先にいるらしいが、案内が必要な階層は少ないし係がいると気まずく思う人もいるからと、先に乗って「何階ですか?」とささやかにボタンを押す係をしているとのこと。
しかしあの彼だ。おしゃべりだから話しすぎて降ろす階を通り越すこともあり、上司に口酸っぱく注意を受けることも多々あるらしい。

そらそうだろうな…と空を見るとうっすら雲の隙間からさす光の筋が見えた。
果たして彼は遅刻せず間に合ったのだろうか、などと思いながら、空を見たのはいつぶりだろうかと、はたと気づいた。
普段は遠い足元を見て歩くが、たまには空を見ても良いかもしれない、などど考えながらポッケに手を伸ばすが、いつもの小銭はなく、飴玉の紙屑の感触だけがあった。

ため息と小さな笑いが一緒に出た自身に驚き、少しおかしくなって、やや眩しく感じる日差しの中、帰路への歩みを進めた。

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