車窓の向こうは明るかったと思う
新幹線の外の景色は覚えていない。
当時の私はかなりの心労と疲労にやられていた。
精神的に追い詰められていたためか、一人で車を運転する時に反対車線に飛び込んでしまおうかと何度も考えた。
だが人は落ち込み過ぎると死ぬ意欲すら湧かなくなる。私はすぐにその状態になった。
食事も喉を通らず、飲めるのは梅酒だけ、という、人から見ればアル中かと思われるような生活を続けていた。
そんな状態で新幹線のホームに立ったので、その時のことはよく覚えていない。手荷物は殆どなかった。手ぶらに近い状態でスーツを着ていたと思うが、それもはっきりと覚えていない。
そんな私を見かねたのか、親友が紙幣をそっと包んで持たせてくれた。
それが当時の私の全財産だった。
普通は夢を抱いて上京するのだろうか。
だが私は自分の命を繋ぐために東京に行くことに決めた。そこに救いを求めて。
東京に着いて新幹線を降りた瞬間、私が驚いたのはカレーの香りだった。
海外から来ると日本は醤油の匂いがする、と聞いたことがあった。でも東京はそうじゃない。カレーの香りが満ちていた。何故かはすぐに判った。駅の中に何軒もカレー屋があったのだ。
ここで暮らす人々はそこまでカレーが好きなのか、と思ったのは後の話だ。当時の私はカレーの香りを感じつつも、そのことには何も思わず、身を寄せることになっていた知り合いに電話をかけた。どこをどう行けば判らなかったのだ。
しかもたくさんの電車が走っている。だがその時の私は初めて見る光景に驚くことも出来なかった。そのことにきちんとびっくり出来たのは、回復してからのことだ。
教えてもらった電車に乗って指定された駅に着く。だがそこで私はまた困ってしまった。駅が広すぎてどこに行けばいいのか判らないのだ。仕方なくもう一度電話をすると、迎えにくると言ってもらえた。
駅からまた電車に乗った。知り合いとどんな話をしたのかは覚えていない。ただ、引きずられるように飲食店に連れて行かれた。何故、最初に飲食店なのか。しかも今はよく知っているが、当時は知らなかったサブウェイだった。
東京ではフランチャイズの飲食店の方がハズレがない、とのことだった。私は食欲はないのだが、と思いながら、知り合いが注文したサンドイッチを食べた。
しばらく食べていなかったために忘れていた食事の味がした。美味しいと感じた。しかも完食出来た。飲み物も注文してくれた気がするが、そっちは覚えていない。
ただ、ただ、何かを食べられたことに驚いた。
とにかく寝ないと治らないと諭された時、私は自分が寝られるかどうか自信がなかった。それまでほとんど寝ていなかったからだ。新幹線の中ですら寝られなかったのだ。どうやったら眠れるのか逆に知りたいほどだった。
だが、私は言われた通りに熟睡してしまった。正しくは爆睡だろうか。私は自分でも呆れるくらい、ずっと寝ていた。起きたらサブウェイで買ってきてもらったサンドイッチを食べ、また寝た。
しっかり眠ったからなのだろう。私は少しずつ回復していった。自分の足で歩いて近所を散歩することも出来るようになった。改めて外に出ると、地元とは違う空と建物が目に入った。
テレビドラマで観たような光景はどこにもなかった。そこは普通の住宅街で、普通に人が生活しているところだった。おしゃれな場所もない。あるのはスーパーやコンビニ、フランチャイズの飲食店くらいだった。
東京は住居も違っていた。一番びっくりしたのは窓に雨戸がついていることだった。地元ではそんなものを見たことがなかった。アニメでは観ていたのだが、フィクションだと思っていたのだ。
警察官が自転車で警邏していることにも驚いた。あれは漫画の話ではなかったのか、と思った。地元ではパトカーでの巡回しかしていない。他には居ても白バイくらいだった。自転車に乗る警察官を初めて見た時には、冗談かと思ったほどだ。
関東平野というくらいだから、地面はかなり平らなのだと思っていたら間違いだった。地元より地面にはでこぼこが多い。坂道がきつい。道が狭い。そのことを知って自分の無知さに、また驚いた。
アルバイトの時給が高いことにも驚いた。マクドナルドでアルバイト募集の張り紙を見た時には錯覚かと思った。地元ではあんな時給は見たことがない。
当時はGPSなど使えず、どこかに行く時は必ず紙の地図を持って歩いた。でも迷った。そのたびにどうして東京の道路は直角に交わっていないのか、と思った。
いま考えるとそちらの方が自然なのだが、当時は判らなかったのだ。何度も迷子になったが、地図を見てなんとか目的地に辿り着けるようになった。
あれから数十年が過ぎた。
今の私はフランチャイズでなくても美味しい店を知っている。道もかなり覚えた方だと思う。電車の乗り換えもスムーズに出来るようになった。建物も建て替えられ、背の高いマンションが増えた。
GPS機能がついたスマートフォンを持っていることが当たり前になり、紙の地図を持って歩いている人を見ることは殆どない。私も当然の如く、スマートフォンを使うようになり、迷うこともなくなった。
駅で倒れそうになった時、駆け寄ってくれたたくさんの人々のことはよく思い出す。東京の人は冷たい、などと言う人がいるがそんなことはない。少なくとも私が困った時に駆け寄ってくれる人は地元にはいなかった。だが、東京では必ず誰かが手を差し伸べてくれる。
東京に来た頃のことを思い出すと胸が痛む。色々ありすぎたのだろう。だから上京した時のことは辛い思い出と常にセットで思い出す。
でも私は東京に出てきて本当に良かったと思っている。
地元では多分、生き続けられなかったのだから。
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