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こころにおきたいことばたち_5

白杖一本で外を歩く時、僕は全身の感覚を総動員します。音はもちろん、足の裏の感触、風の流れ、におい…

2023年12月10日 毎日新聞の記事より
触れる展覧会「ユニバーサル•ミュージアム」監修
民博教授 広瀬浩二郎さんのことば


連日の戦争の話や、暗い話、何ともいえない話、そんな新聞記事の中から、私は好きな記事を探します。と言っても、平日はほとんど新聞は読まず、週末、時間がある時だけですけれど。

今日は一筋の光明を見出す記事を見つけました。
毎日新聞の「文化の森 語る」に載っていた記事のことばを紹介します。
広瀬さんは、「触る祭典『ユニバーサル•ミュージアム さわる!めぐる物語』」を監修されています。視覚に頼らず、誰もが触って楽しめるアート展ということです。


視覚偏重の社会に一石
国立民族学博物館(民博)の教授、広瀬浩二郎さんは、13歳の時に失明されたそうです。広瀬さんの上のことばの続きはこうです。

「一方、視覚は多くの情報を速く処理できて便利な分、他の感覚を使わなくなる。目が見えないのは世間で言うところの障害ですが、僕は、単なるコミュニケーション回路の違いじゃないかと思っています。…」

インクルーシブやアクセシビリティーではなく、展覧会の名前に「ユニバーサル」という言葉を選んだのはなぜですか、というインタビュアーの質問に、広瀬さんは、ユニバーサルの意味を教えてくれます。

「「ユニバーサルは「普遍的」「ユニ」は「一つ」を意味します。「見る」が当たり前でない、新しい普遍を築きたい。マジョリティーにマイノリティーが合わせるのでなく、本当の意味で一つになる。ユニバーサルはいい言葉だと思います」



その後に続く広瀬さんの話は、多様な人がやりがいを持ち働ける場という、とても大切な内容について書かれているのですが、これ以上かくと記事のほぼ丸写しになりますので、新聞を購読されるか図書館にて、是非お読みください。



私は仕事でパソコン、携帯(今も携帯から記事を書く)を見てしまう毎日。
五感を感じる、感覚を磨く機会って、私はなかなか取れないです。
視覚や聴覚の情報に溢れ、敏感になりすぎてしまい、他の感覚(触る、空気を感じるなど)が鈍磨になってしまう。
身体のいろいろな感覚を使うことは、頭を耕すことにつながる気がするのですが、それがなかなか難しい。
私が手軽にできることは散歩ぐらいでしょうか。

子どものお稽古事の帰り道、夜道を歩きます。
その時間は、親子の楽しみの一つであります。
夜道の方がなぜだか話が弾むのです。
ひっそりとした通りや車がよく通る通りでも、薄暗いと親子でひっそりできる。ゲラゲラ笑っても、変なバカ話をしても、周りから気づかれない。素直な私たちでいられるのです。うちの子はホタルのように、ほんのりと私を照らしてくれます。

この展覧会も薄暗くしているようですが、暗い方が、何か大切なものが見えるのかもしれません。



さて、この触れる展覧会「ユニバーサル•ミュージアム」は、12月17日までということです。行きたい!と思うのですが、その週はあいにく用事が入っており、本当に残念。耳なし芳一の「てざわりの旅」など、触れてみたいです。近くに巡回されないかなぁ。
広瀬さんの耳なし芳一の解釈、とても面白いです。見えないことで持っている特別な力が、経文が全身に書かれたことにより、なくなってしまったんですね。耳なし芳一は、息子が大好きな物語なので、改めて読んでみたいと思いました。




※新聞記事の転載はいけないのですが、ここで紹介したくてたまらなく、お許しください。今までも、新聞だけでなく、そのまま引用することが多く、ごめんなさい。いけないという事でしたら、ご連絡お願いいたします。

そろそろ、自分の青臭い稚拙な文を書きたいと思っております。私も青臭い人間ですよ。