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穀雨、俳句詠み始めました_5

芝の上
穀雨しげるは
雑草なり

「隣の芝生は青く見える」と言いますが、
自慢じゃないですが、うちはとっても青いです。

青いって、芝生じゃなくって雑草で青いのです。
雑草がものすごく生い茂って、もはや草原と化しています。草原ってなかなか行けないと思っていましたが、こんな身近に草原ができてしまいました。
(訂正:面積は草原と言えないのですが、イメージとしての草原です。モンゴルの草原の0.00000…分の1ぐらいの)

刈り取ることも大変なぐらい、大変な状態になっています。いつ刈り取ろう…。

雑草って、足を踏み入れる場所には茂らないんだなぁ、とか、雑草の間にけもの道ができていて、これも風情だなぁ、とか…。小さな黄色い花や、紫の花をつけて、とっても愛らしいなぁ、とか。
雑草をあえて育てているんです、観察しているんです。と言いたいところですが、植物学者ではないので、単に刈り取る気力がないだけです。

家の前を通る人からしたら、全然手入れしていない人で、だらしない人なんだろうなぁ、と思われていそうです。ほんと、その通りの私です。

そろそろ、家のこと考えないといけません。

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芝生の上や土の上を、裸足になって歩かせると脳に良いと聞き、子が小さい時、公園や庭先でよく遊ばせていました。
砂場や家庭菜園の畑の中でも、裸足になって、ズボンをまくり、水をかけて、どろんこになって一緒に遊んだり。
今は子は大きくなったのでそんな風に遊ぶ機会はなくなりました。子が小さい時に遊んだ日々は、貴重な時間だったなぁ、ピカピカしていた時間だったなぁと懐かしく思います。

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あ、そういえば、昨年、泥遊びのようなことをしました。
稲植え体験に参加したのですが、稲を植える前に、子供たちやお母さん方と一緒に田んぼの土の中に入り、歩きました。

泥の中で歩くのって、とても感触がいい、とその時、体感しました。ヌメッってしていて、でもひんやりしていて。泥にこんなに癒されるとは思いませんでした。脳にいいというより、気持ちにいいです。

田んぼの泥の中を歩く私の姿を、その時参加していたお母さんが写真に撮ってくれて、私に送ってくれました。
その写真の私、自分でいうのもなんですが、とてもいい笑顔をしてるんです。普段の顔と違って。貴重な一枚、大事にとってあります。

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今日はパソコンの検索の画面に、「穀雨」って出てきたので、その言葉を使って一句詠みました。

穀雨は、田植えが始まる時期の言葉ですね。
今日は、雨が降らなかったけれど、この時期の雨の次の日は、私の鼻は大変なことになります。マスク必須です。

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句は思いつくのですが、五七五の中に自分の心情を落としこむまでの句はなかなか作れず…。


本当に素晴らしい句は、その句を読むだけで、その句の世界、その心が広がるのですが、私の場合はそのレベルには程遠い。
このように無駄に長々と句の説明をしなければならず…、その文はエッセイにもならず…。

難しいなぁと思いながらも、句を考えるのが今の気晴らしになっておりますので、思いつくうちは沢山作ってみようと思っております。
エッセイにならなくても、日記代わりに書く感じでいいかな。

そのうち良い句が作れますように。

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