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兎、波を走る

野田地図の舞台を観るのは今回で4回目。

普段は歌舞伎・文楽・能をよく観るので、現代の言葉で見る舞台には慣れていないのと、古典芸能は元々のあらすじがわかっていてから観るものなので、途中で寝ても困らなかったりする。野田地図を初めて観た時には、現代語の舞台は言葉の量が多くテンポも速くてついていくだけで苦労した。ほんとうに自分でも驚くほどついていけなかった。なので、前回までの野田地図の時は知らなかったけれども、戯曲も最初から脚本が発売されていたりすることを知って、今回の舞台脚本が掲載されている文芸誌『新潮』を買って、前半だけをさらっと読んだ。脚本を読むだけではそうそうわからないけど、セリフだけでも知っておくと、舞台を観たときに、この人がこの役でこういう衣装でこういう場所からこのセリフを言うのかという発見があって、理解しやすく入り込みやすかった。

ネタバレって、どんな方法でバラされるかというのが問題であって、バレたところで困る程度の話でもないのは確かだと思うんだけども、どんなもんなんだろ?

さて、舞台の感想。
以下、ネタバレ(笑)を含むかも。


遊びの園、登場するのは、遊びの園の持ち主、歴々の文豪の血縁の人とか小説の登場人物の本人ではないけどちょっと遠縁の人たち。そしてその遊びの園に紛れ込んだ脱兎、遊びの園でアリスを探すアリスの母。

アリスの母は迷子センターでアリスを探す。

アリスの母は迷子センターで本当にアリスを探している?って思うくらいに子供の特徴を言えない。でもそうなのかも。気が動転してしまって。
脱兎を追うのはアリスじゃなくてアリスの母。私だったら、あんなに無視されたり逆に疑われたりもう諦めを促されたりしたらもういいかもって思っちゃうかも。探し求めている自分が悪いように感じてしまって罪悪感すら感じてしまいそうだ。そして、ほんとうに諦めてしまった人もいるんだろう。

でもそれでも、アリスの母はアリスを探す。

すべてが一番伝えたいものを伝えるための道具に過ぎない。目の前で繰り広げられる出来事が本筋に効いてるはずなのにぜんぜん関係ない。関係なくはないけどでもやっぱりあんまり関係ない。

兎に角、アリスの母はアリスを探す。

AIが物語を作り始めるけどそれでもあんまり関係ない。
観ている私は、たくさんの回り道を通らされて気が付けば不思議の国のアリスに出てきそうな螺旋階段を登っているようだ。
登りつめた先には裁判の証言台に立たされているような気持ちになる。
もう前にも後ろにもどこにもいけない。

最初から最後まで、これからもアリスの母はアリスを探す。

一番最初の脱兎のセリフ、訳が分からないと言われたし訳が分からないなと感じたセリフ、一番最後にもう一度、そのセリフを脱兎から聞いた私たちは、この2時間かけて理解して悲しみを持って受け止めた。


ブレルヒト(野田秀樹さん)はブレブレにぶれているようでものすごい回転で回ってむしろ中心は全然ぶれない。ブレルヒトは社会派の作家だって言ってた。ほんとその通りだった。

社会問題を取り上げた作品は、その社会問題の問題だけが独り歩きしてしまって作家性などは後回しにされがちなのだけど、取り上げてる内容に振り回されないエンターテイメントとのバランスの良さがさすが過ぎた。

もし次回もあるなら、楽しみにしたい。

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