Xはわりかし届いちゃうことに気づいたから

ストック記事です、次の記事は鬱っぽい記事になる気がします、ここ最近は鬱の時期が続いているから、それではよろしくお願いします


なんの話かというとあのSNSの話です。
僕は昔はTwitterを2ちゃんねるの代わりとして使い始めました。
とはいえ僕はもっぱら2ちゃんねるはほぼROM専で専門板や雑談系(世代的にはVIP)あとはゲームが昔から好きだったので攻略系の板(ないしはスレッド)をみていることが多かったです。

みなくなった理由は書いてもそんなに広がる話ではないのですが、ひろゆき(さん)が居なくなった辺りとAPIがうんたらで専ブラが減った?あと好きなゲームのスレの雰囲気が後ろ向きで、なんか開けた世界に飛び出したいな、なんて思って2ちゃんから逃げ出した先がTwitterだったように思えます。

Twitterは当時から、みんながコテハン名乗ってるクソコテ(クソな固定ハンドルネームを名乗る人)で構成された世界だと僕は思って、
今は記録が個々に残る分、ネット活動におけるバーチャルポートフォリオみたいだなと思っています、その使い方も最近は困難になってきたと思いますが、外部リンク貼ったときの問題だったり、メディア欄の表示方法だったり、他にも、たりたり。

閑話休題、タイトルのお話に繋がるのですが、Twitterを始めて数年かな、使っていて感じたんです。
Twitterで書いた感想って、製作者さんとかかエゴサしているからわりと当事者に届いちゃう。
これはね、傷つけるようなことを書いていなければいいんですよ。
例えば匿名掲示板はいにしえから悪名の高さが語り継がれていますが、実際は普通の人とめちゃヤバい人が普通にいます。
そのめちゃヤバい人が、めちゃんこヤバい誹謗中傷を他者や媒体へ対してしているのですが、それ自体はある程度手間かけて探したりしないと本人には届かないんですよね、だから僕は必要悪としてそういう場だから、と当時から思っています。※誹謗中傷を推奨しているわけではありません、自己責任で、罰せられる可能性もあると理解してください

ところがこのTwitter、エゴサで簡単に引っかかるから、当事者が容易に目にしてしまうわけですよ。
そんなに?思うかもしれませんが、僕はTwitterにおいては自分の好きなものを気軽に好きとつぶやいてきたので、それを実感する機会がかなりあったのです。
本当はいろんな人が一人でもこのいいものを知って、わずかでも触れる機会になればと思ってしていたつぶやきを通じて、関係者の人からふぁぼ(僕はいいねの世代)♥が飛んでくるのです。
それもすこしマニアックな作品に限って反応があったりして正直ドキッとするのです。
僕はTwitterを始めて数年間はあるルールを自分に課してツイートをしていました、それは99%ぐらいはあかるい好意的な内容を選んでツイートするということです。
どうせ僕が書かなくても、当時から変わらずインターネットは悪意と誹謗中傷で満ちていたのです、だったら僕みたいな凡人はせめて反抗的にカウンターとしてポジティブだけ書いちゃおうと、そういう意図でTwitterをたのしんでいました。
しかしですね、当然意図的にポジティブに偏らせているだけなので、頭の中ではそれはもう、嫌な意見や気持ち、口汚い言葉も出さないだけで渦巻いてはいるのです、
なんと言ってもfrom便所の落書き(2ch)育ちの僕ですから、まあ口汚いはあんまりそういう語彙力が本当はないので、小説とかで書く用にもっとほしくなったりもするのですが。
話ちょっとれるんですけど、人(子供?)が口にする悪口って、自分が親から言われた言葉らしいですよ、嫌な学びですね、僕の父親は程度の低い悪口しかいいませんでしたが、数が尋常じゃなかったです、泣けてくる、いろいろと。

なぜドキッとするかですよ、僕がもしたわむれに、「でもここは××だった」なんて偶然にも書き足してしまっていたら、それが当事者に届いていたってことなんですよね。
そんなもの届かずに、その人が作りたいものそのままを受けとめさせてくれるのが僕は一番、好きなんです。
だから、表題、

Xはわりと届いちゃうことに気づいたから

Twitterは匿名掲示板じゃないですよ、もうすこし公共的です、伝わっちゃうので、Xではほんのすこし、やさしくなりたいです。