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身近でありうる貧困の話、「夜が明ける」のあらすじ・感想・レビュー

「夜が明ける」の概要


著者:西加奈子

発行年:2021年

あらすじ:思春期から33歳になるまでの、男同士の友情と成長、そして変わりゆく日々を生きる奇跡。

「夜が明ける」のあらすじ・感想・レビュー

※以降、ネタバレ注意です。

主人公の「俺」は、普通の高校生活を送っていたが、高2の時、父親の死により、多額の借金を抱えてしまうことととなる。

一方、「俺」の高校の同級生であり、後に親友となる「アキ」は、精神的に病を抱える母親から放置されて育ち、時には身体的暴力を受けながら、学生時代を過ごした。

先日読んだ、「テスカポリトカ」や「護られなかった者たちへ」と同様に、貧困や生活保護、虐待、過重労働など、社会問題をテーマにした作品だ。

かなりリアルな描写で、語り口調の文章が多いため、読みやすく、400ページ超の小説にもかかわらず、一晩で読み切ってしまった。

この小説では、主に家庭環境に起因する貧困、そしてそこから網目状に連なっていく奨学金制度(という名の借金)、過重労働などの悪循環を描いている。時には、売春やお金絡みの殺人(未遂?)事件、リストカットなどの自虐行為なども絡んでくる。

最も心打たれた言葉が、「俺」の高校の同級生であり、極貧家庭で育った遠峰が言った、

「どうしていつも、優しさをもらう側でいないといけないの?」

という言葉だ。

貧しかったら、毎日を自分のために生きるのが必死で心の余裕がなくなっていく。

優しさは、ある意味、余裕(金銭的な余裕も含め)のある人が与えられるものであるということだ。

遠峰は、貧しかったから、食費がなく学校にお弁当も持っていけず、学校が終わったらアルバイトに勤しみ、大学に行くなんて初めから選択肢になかった。

お弁当を持ってきていない周りの人が、「私のお弁当を一緒に食べない?」と提案してきたら、バカにしてるんだと思い込んでいた。

実際はそうでなくても、当時の遠峰はそう感じてしまった。さらに、そう感じてしまう自分の心が悪いとも感じていた。

貧乏でなかったらこんなことで苛立つことも恨むこともなかった。でも、苛立ったり、恨んでしまったら、貧乏だからそういう人間になると思われる。

貧乏そうだからとどこに行ってもいじめられる弟を持つ遠峰にとっては、貧乏だから恨むような人間になるんだと思われるのが「負け」で、遠峰は恨むことを辞めたのだった。

私は、人は、優しさをもらう側あげる側などの境界はなく、関わり合った時点で、知らぬうちにでも支え合っているものだと思っている。しかし、よかれと思って相手を逆撫でする優しさを発揮したこともあるし、相手からしたら優しさと思ってしてくれていることで苛立った経験もある。

きっと自分の精いっぱいを尽くしてもできないことを相手が簡単にやって(言って)のけるから、やるせない気持ちになって、その気持ちが怒りや恨みとなって表れてしまうのだ。

「優しさをもらう側でいないといけないの?」という言葉は、誰にでも優しくありたいと思うが、自分の精一杯を尽くしていてもできない、理想の自分や周囲の環境と現在の自分が大きく乖離し、望んでもいない優しさをもらった時の気持ちを的確に表した一言だと思う。

そして、主人公の「俺」がそうであったように、貧困の世界に入り込むのは一瞬の出来事で、一度入ったらなかなか抜け出せない。

「俺」は大学には奨学金を借りて行ったものの、バイトと勉強の掛け持ちで自由時間はほとんどなく、当たり前に、学校に行けたり、友達と遊んだり、恋人と過ごしたりできる人を恨み、見下し、負けたくないと考えるようになっていくことで、悪循環の深みに入っていく。

アキも同様に、貧困の日々から抜け出せずに過ごす。アキは、長年の母親からの言葉の虐待に縛られ続け、存在感を消そうとしながら、なんとか生きている。

アキは「俺」に言われた「アキ・マケライネンに似ている」という言葉を頼りに、アキ・マケライネンになろうと生きたのだった。

「テスカポリトカ」や「護られなかった者たちへ」とは違い、読み終えて感じたのは、今すぐ走りだしたくなるような高揚感だった。

それはおそらく、アキマケライネンに似ているといった言葉が1人の心を救ったこと、アキとアキマケライネンのパートナーとの運命的な出会い、「俺」に助けを求めることの重要性を教えてくれた人、何より「俺」や「アキ」が命を削って必死に生きている様子に希望をもらったからだと思う。


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