盆踊りと日本人の生と死の円環について
夏も終わりの今日この頃、近所のお寺で「五重塔盆踊り」というお祭りがあった。 五重塔は元々ブッダの聖骸が収められていたストゥーパを起源としているが、それを囲んで円を描いて踊るというのは何とも日本的でおもしろい。
明治維新以前の日本では、盆踊りは男装女装も無礼講で夜通し祭りが行われていた。死者を弔う「お盆」と人々の交雑を促す「祭り」は生と死の両面のイメージを併せ持つ。欧米で言えば夏至祭とハロウィンを融合させたようなものだろうか。
かつての日本人は常に死と隣り合わせの生活だったに違いない。日本は地震、台風、津波等の天災が多い。建築は殆ど木造であり、建て替えを前提としているのは伊勢神宮、出雲大社の式年遷宮を見るに明らかである。人工物さえも生と死の円環の中にいるのだ。
もののあはれや侘び寂びにえもいわれぬ美しさを見出してきたのはそのためだろう。葉隠の「武士道とは死ぬことと見つけたり」など究極の美のように思う。日本人は死を乗り越えるために死そのものに美を見出したのである。
多く死ぬ分、多くを産まねばならない。古事記でイザナミが千人を殺し、イザナギが千五百人を産むように。元来日本人の死生観は生と死が表裏一体となっており、生命は盆踊りのように円環を出たり入ったりしてその時々で踊りに参加しているようなものである。これは輪廻転生を表現している。
生命の誕生には死者の御魂と生者の肉体が必要となる。盆踊りは死者の御魂を呼び寄せる降霊術であると同時に新たな生命を召喚するための円形魔法陣である。
そんなことを思いながら子供達がかき氷をかきこむ様子を眺めていた。我々もまたその生命の円環の中に居るのだ。我々はその踊りをただ眺めることはできない。すでに踊っているのである。死者から受け継いだ生命の踊りを。
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