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カメムシが大量発生していると聞きまして。

今からかれこれ20年前、18歳だった私は鹿児島のレンタルビデオ店でアルバイトをしていた。

DTMやスタジオレコーディングを学ぶために専門学校に入り、まだ桜の香りが仄かに残る学校の帰り道をバイクで走っていた。家に近づくと辺りは真っ暗で田畑が広がっている県道があり、そんな中突如テカテカと輝くレンタルビデオ店があった。そのガラス張りの窓にはアルバイト募集の求人広告がデカデカと張り出されていた。

家から近く、専門学校の帰り道であり、何より私はとても映画が好きだった。当時はネットで求人を探すこともできず、求人情報といえば専ら求人誌や店頭の広告だった。求人との出会いは少ない。そんなわけで私はこの店でアルバイトすることになった。

その店のスタッフは旧作を一日2本借りることができた。何ならビデオチェックと称してレジの脇にあるテレビデオで流しながら仕事をしていた。コッポラ、スコセッシ、キューブリック、リンチ、ギャロ、リンクレイター、タランティーノ。当時興味があったおおよその映画を借りて大いに影響を受けた。今でもふと見たくなる映画はこの頃に見た映画が多い。

季節は巡り、バイクで受ける風がまた少し肌寒くなってきた秋の夜のことだった。いつものようにレンタルビデオ店に向かうと、店の様子がどうもおかしい。いつもより暗い印象だ。昼番のスタッフが照明をつけ忘れたのだろうか。

更に店に近づくと明らかにカメムシの臭いがしてきた。運転中に私のどこかについてしまったのではないかと訝ったが、どうやら店に近づくにつれ、その匂いは強くなっていった。

店に着くとあり得ない数のカメムシが店頭から駐車場まで跳梁跋扈しており、ガラス張りの窓には夥しい量のカメムシが張り付いていた。店内の照明をすっかり遮断してしまうブラインドカーテンのように。

辺りは田畑で真っ暗だがその店だけテカテカと輝く条件が大量発生したカメムシを一点に集中させ、とんでもないカメムシ召喚装置となっていたのだ。

パキパキっ。足元で音がした。カメムシを踏んでしまった。足元を見るとそこにはカメムシの絨毯が広がっていた。うわっと思わず声が漏れた。信じられないくらい臭い。客もスタッフもカメムシを踏んだり蹴ったりしながら店に出たり入ったりしていた。私は人生で初めて地獄の存在を意識し始めた。

店内に入り、タイムカードを押して、侵入してくるカメムシを撃退しつつ入店してくる客のレンタルビデオを返却した。私が客ならカメムシを見るなり逃げ帰ってしまいそうだが、延滞料金がそれを許さなかったのだろう。そうこうしているうちになんとか閉店時間までこぎつけた。あとは閉店作業だ。閉店作業?

閉店作業はガラス張りの窓の店外の上方に収納しているシャッターを全て下ろし、鍵を閉める必要がある。これほどのカメムシが跳梁跋扈している店外で、あれほどのカメムシが張り付いている窓にどうやってシャッターを閉めるんだ?

やれるかやれないかではない。やるのが仕事だ。

私は一つ下の同僚とシャッターを下ろすフックの付いた長い棒を持って一二の三で飛び出して、息を止めて二手に分かれた。まるでゾンビに囲まれる中、自動小銃を抱えて脱出を図るゾンビ映画の主人公みたいに。

カメムシの絨毯をパキパキと蹂躙しながら入り口から一番遠いシャッターにフックをかけた。シャッターを下ろすとカメムシたちがそれに削がれ、シャッターが強く閉まる音とカメムシが潰れる音が重なった。背筋に冷たいものが通って、鳥肌が全身を走った。

そのままの勢いで次々とシャッターを閉めた。その度にカメムシは群れを成して飛び散った。私は声にならない声をあげて、我を忘れた狂戦士となってカメムシを殺戮した。戦場は正にカオスであり、ベトナムのジャングルの奥深くの泥沼のようだった。地獄だ。ここが本当の地獄だ。

最後に同僚と店内に滑り込むように戻り、入口のシャッターを内側から閉めた。我々は生き残った。凄惨な戦場から生還したのだ。

私たちは何も言わずにタイムカードを押し、施錠し、退勤した。帰宅するとすぐ風呂に入った。しかし全身を洗っても洗っても臭いが落ちなかった。それは私の鼻腔を貫き、脳幹を伝って魂に刻まれたカメムシたちの血の匂いだった。

それ以来私はパクチーが苦手になった。


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