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送別会

 僕は名残惜しいのは好きじゃない。おそらくだが実家が転勤族であり、子供の頃2度程引っ越しを経験した事が影響しているのではないかと思う。

 引越しの内訳としては、幼稚園の途中で一回、小学校の途中で一回であった。とてつもないくらい寂しかった事はいまでも鮮明に覚えている。現代では、小学生でさえ携帯電話を持っている時代だし、連絡先を交換しておけば海外に行ったってやりとりを行えるが、僕の子供の頃はまだまだそこまでは便利ではなかった。そうなると連絡手段としては、手紙か固定電話である。それはそれで煩わしい。当時の僕的には永遠の別れに等しい重大な出来事なのであった。
 その影響なのか、昔から「さよなら」という行為が得意でない。記憶しているだけでも大阪に住んでいた祖父母の家へ帰省し関東の家に帰る時もしょっちゅう泣いていたと思う。

 今回僕は退職した前就職先の送別会を開催してもらった。9月いっぱいで会社は出勤を終えた為、緊急事態宣言下と被っており、送別会の開催はなかった。個人的にはしてやったりと思っていた。そもそも送別会を開いてもらえる前提で考えているのは我ながら思いあがっていたと反省しております。そんなこんなで何事もなかったかのように僕は前職場を去っていったのだが、10月に入り緊急事態宣言が解除された事もあり、送別会開催の連絡をもらった。実際のところありがたい話だし、断るわけにもいかないので細かく分裂した3回の送別会に参加する事にした。
 送別会といっても僕が云々というよりは会社の思い出そして現在の会社での悪口、噂話etc、そもそも飲み会自体1年ぶりくらいなのだつもりにつもった話がわんさか出てくるのもおかしくない。僕の送別会と称して皆の愚痴はけ大会となっていたのは我ながら最後に同僚たちへ協力できたのではないかと誇らしく思う。

 考えてみれば、主役の位置に置かれれば置かれるほど、名残惜しくなるものなのだと考えた。学生の時もサークルの送別会ではTHE主役のような扱いを受けていた為、耐えられなくなり途中で離脱した記憶がある。今回の送別会に関しては、主役感がなかったので離脱する事もなかった。まあそもそも社会人だし。
 それでもやはり帰り道なんかは少ししゅんとしてしまう僕であった。

 やっぱり「また明日」みたいな「さよなら」が一番いいんだと思う。

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