水の上の足となること(5/21文学フリマ東京にて寄稿作品の試し読みです)

水の上の足となること


 思い浮かべるはやはり肥った福神である。戎、夷と読みは同じだが音は当て字、いわば借字にすぎぬ地名とはいえ。エトランゼを意味する名の、恰幅のよい翁にも壮絶な過去があると見え、その出自は蛭兒に求まる。
 伊弉諾、伊弉冉の双神が淤能碁呂あるいは磤馭慮でオノゴロと読む島でまぐわい誕生した、脚萎えの赤子だ。『日本書紀』神代上の段では「此兒年滿三歲脚尚不立」(このみこみとせになるまでなほあしたたざりき)がために棄てられ、あげく「此子者入葦船而流去」(このこはあしぶねにいれてながしさりき)と『古事記』にあり、誕生の原因は儀式の声掛けを「因女先言而不良」(おみなびとのさきにいふはよからざる)からだと、その責を粗相した女神に求めている。

 本人に非の無いまま生まれ落ちては両書で蛭兒はその後とんと姿を見せない。しかし葦を結んだ舟で千年の間わだつみを漂流したすえ、捨て子は華やかに転身する。鎌倉時代の『源平盛衰記』曰く「大海が原に推し出して流され給ひしが、摂津の国に流れ寄りて、夷三郎殿と顕れ給ふ」て和歌山県は西宮神社で奉られることと相成った蛭兒あらため夷三郎、海を領する神へと出世を果たした。
 常世から来たか竜宮城からの御帰りかと海の民に勘違いでもされたのだろう。彼らが信仰したのは此方と彼岸の幽明を相隔てる浜辺に打ち上げられた漂着物。座礁鯨も流木も水死体も見境なくそれらを寄神と呼ぶほどの崇拝はほどなく海神たる夷への畏怖と融合した。そしてどういう訳かとんとん拍子に七福神の一柱へ数えられた。
 仏教の七福に竹林の七賢人を准えて生まれた異人たちの中で唯一の本国育ち、だがその名はエトランゼという捻じれもこの神に相応しい。

 記紀が国の統治を目的に各地の民間信仰を吸い上げて、王権神授のシステムを合理化しようと編まれた書物と考えても、そのまくらで蛭兒を登場させるやいなや退場させたという動機の不明さがそも異形めく。
 そこからの流れは変身譚でもあり、また貴種流離譚に異常誕生潭など神話の原型種を内に幾つもはらむ。このうえ信仰の混合と変容にいかなる経緯があったのかなど知る術はない。だから中世に突如現れた海神に、神道家などは大いに困惑して長きにわたり素性が詮索された。夷三郎と蛭兒は別人物だ、夷三郎は蛭兒につかえる鹽土老翁だ、住吉明神だ、さらに下って江戸の時代には、字義から推理するに彦火火出見尊か、いや大黒天という別名からして事代主命に違いない、さては神のくせして小さい図体なのだから少彦名命也など、こうなってはもう収集などつくものか。

 滝沢馬琴に至っては『玄同放言』でヒルコとは日子の意であり大日孁貴の対となる存在ゆえに抹消されたのだと、さらに敷衍して「蛭子ハ星神也」と述べている。ここではすなわち北極星の意。不具を遺棄の由としなかったこの思考には、犬とまぐわった伏姫にとうてい人の形で産まれよう筈のない八の種子を懐妊させた戯作者の血が滾っていたのか、こうして丸く肥えた福の神からは段々と、元は足の曲がった赤子というイメージが薄れてゆく。

 畸形児の鮮やかな栄達史が、豊穣を願う民衆たちの錯誤と忘却の蓄積の上にあるのならば、ニューロン回路の誤作動もまんざら捨てたものではない。俺の好きな映画でも、さる男が「僕は忘れることが好きなのです」と云っていた。蓋し至言であり、だから俺は映画のタイトルもその俳優の名ももう分からない。

***

 とまれ、恵比寿である。夷三郎とも蛭兒とも何のゆかりのない、元は小さい村々が併さってできた土地にこの名が冠せられているのはひとえに、日本麦酒醸造会社のゑびすビールが昔ここにあった駅から出荷されていたためだと、兄は云っていた。

——家からあの道出て、右の方の坂登ってそのまま真直ぐ行ったら町の記念館、あるだろ。

——エビスビールの? ああ、ガーデンプレイス。

——元は工場でね、原料の水は三田用水から引いてた。寛文からある水路だ。よほど良い水質だったんだろう。

——想像つかないな。二百年前くらい?
——三百六十年前。ヨハネス・ケプラーが球体を最密充填する方法の仮説を立てた頃。

——もっと分からなくなった。けど撤去されたのか、その水路。

——暗渠になったんだよ。地下化した用水路。

 実際に見る方が早いと、付き合わされた。兄の片手には国土地理院発行、一万分の一に縮められた渋谷区地図。その上を走る、橙色の蛍光ペンの線。あちらやこちらに伸びては行き止まるを繰り返して、ランドルフ環を三つ四つ組み合わせたような経路になっていた。いつの間に作ったのやら、暗渠マップだ。

——見るって、地下に埋まってるのをどうやって。

——地上の痕跡。

 例えばそれは水門や水車跡。錆びた逆U字型の車止め。ガーデンプレイスの近くには弁財天を祀ってある寺社がある。元は河川神であったことから、用水工事の成功を願うために作られたと予想でき、またそこに暗渠があったことを示す痕跡の一つと数えられる。この街に限って、視えなくなったものならば何でも知っているというのが兄の自負だった。
 一丁目の十字路を曲がり、日仏会館の前を過ぎて三丁目へ向かえば、ここはむかし伊達政宗の私生児が住んでた下屋敷があって毎晩宴会騒ぎだったなどと、妙な知識ばかりをと呆れながら坂を下った。

「東京都下水道局の台帳によれば、この町の下水道管は陶磁器製の管だ。サイズは内径が最小二十五センチメートル、最大六十センチメートル。下水道管には分流式と合流式の二種類がある。前者は生活排水と雨水を別々に、後者は一緒くたにして、いくつもの汚水桝を経由しながら、やがては内径数百センチメートルの神田幹線ないし白金幹線管と合流し、最寄りの処理場へ」

「どうした。セージ」

 兄の墓参りを終えた足で向かったクラブで、暗渠巡り道中のその日に発した科白を諳んじたら、セラがぎょっとした声で俺の肩を小突いた。そうだ、今は坂など下っていない、軀は二〇二〇年のクラブに在る。隣にいるのは世良丹(せらに)という男。

 下の名は知らない。語呂が悪いから縮めてと頼んでおいて、俺を呼ぶときは苗字の畝滋(せじ)をそうのばして発音する。いつも半世紀遅れてやってきたフーテンみたいな成り恰好で、たいてい隅でリキッドを吸っている。せわしなく吸引具の加熱スイッチを押すさまはオペラント条件付けを施された猿に似ている。プラント用機器の営業職の身には縁のない業界だから詳細は分からないが、中小出版社に出入りしてはテープ起こしと校正で喰い繫いでいるらしい。

 兄の一周忌を迎えて通い始めたクラブに、いつ行っても必ずいると存在に意識が向き始めたのが三回忌を過ぎた頃。匣中にBurzumとコクトー・ツインズのミックスがどよもすと、誰よりも大きく叫んでその軀を振った。曲が変わると途端に踊りはストップし、観察していた俺の方に近づくと「いつも来てるな」と先に云われた。ヴァルグ・ヴィーケネス以外じゃLaputaが好きと知って意気投合した。一世一代の告白だが再結成でかえって幻滅するのが怖いんだと教えられて、俺は二年ぶりに心の底から笑った。仕事の無い日は新宿の賃貸住宅でアクアリウムとDAWを弄っている。

 また逢おうと酒の勢いでSNSアカウントも交換したが翌日、ねずみ講の輩もこんなところを這いまわる時代かと後悔してアプリを開いてみれば『めかぶパック吸い太郎』というアカウントネームで支離滅裂な投稿しかしていない。こんな気狂いじゃ騙しの稼業など勤まるまいと安堵しながらミュート設定にした。

「じゃあ決まりだ」 頷いた。何にだ。フロアはハウスミュージックが兎に角けたたましい。どこのホラー映画からサンプリングしたのかスイッチングノイズや叫び声が入り混じるなかで、極端にリヴァーブがかった女性ヴォーカルは鈍く尾の長い残響を残し続ける。後ろを振り向いたらDJなどはおらず延長コードで首を吊っている兄の振り子。そんな強迫観念に囚われた途端この声もさてこそ亡霊の息吹めく。

***

 遺体を見つけたのは俺の母親。兄の部屋で。

 兄はさる印刷会社に就いてDTPデザインの依頼を受けていたが五年ほどで急に辞めた。当然のことながら父母と口論になった。理由を話すことは終ぞなかった。精神科にはなかば強制されて通っていたし、薬も服んでいた。
 遺品は十数個の段ボールに詰められ、部屋に置かれたままだ。処分はされていない。詰めこんだのは生前の兄だ。仕事関係の資料を綴じたクリアファイルも文庫本や雑誌もCDも一緒くたにすべて。積まれた箱を両親に触らせようともしなかった。段ボールは高く積まれていてその高さはちょうど兄の身長。一つ一つ文字通り腰が抜けるくらいに重く、その積載作業を考えると、一体あの痩躯のどこから力がと恐ろしくもなる。歿する間際の兄は何も食べなかった。口にしていたのは酒だけだ。常飲していた。麦焼酎の紙パックをコンビニで買い溜めしては四日たたぬうちにみな空にする。アルコールのカロリーでその生存は支えられていてそして崩れた。

 地方への出張からの帰りに、母親から兄が病院に運ばれたと連絡が来た。家じゃなくこの病院に来てとその住所も添えられて。駅に降りた時、病院じゃなくて警察署とふたたび通知。だめだったともう一言。目的地で受付の係員に事情を伝えれば、一度電話で確認しますからとそのまま住民課の前のソファに坐らされて一時間。母が来て、その後知らない男が来た。刑事だという。ご遺体はこちらにと、今度は安置所に連れてこられて漸く対面を果たした。ご線香をというが、作法など知らないからただ灰に突き刺した。死体の頸にはにコードの、太腿には愚行の真直ぐな痕跡。

——父さん、いま知り合いでお葬式の仕事してる友人に頼んで車出してもらってるから。

 霊柩車が来た。窶れた父親が、あとはやるからとタクシーを呼び妻子を帰らせた。
 密葬で済ませたので、準備も含めて弔いは三日で終えた。一日目に葬儀会社との手続きを済ませてその翌日に入棺した。母親だけずっと葬儀場に宿泊していた。祖父の墓が立つ浄土真宗の寺から白髪の坊さんが招かれ、「すべて縁です。息子さんは病気で死んだものとお考えください」と二人に説いた。

 その言葉を俺は何度も思い返し、反芻し、そして自室で嘔吐した。狂っている。狂気など、疚しさを抱えたやつの心から分泌された膿にすぎない。この二文字になにか絢爛たる憧憬を見る者は所詮この汁が照り返す光を黄金のきらめきに錯覚しているだけなのだ。それが数少ない持論だったが、少なく見積もっても俺の三倍の年数生きてる人間でさえ膿汁を垂らすのならば少しは見直す必要がある。黄金色とは狂気ではなくその眩しさに目が眩んで少しの身動きもできない絶望の色だ。

 いや違う、巧妙な記憶の捏造。服んでなどいなかった。処方薬が便所に浮いていたのを二度発見したことがある。そして二度とも黙ってトイレに流した。俺以外の人間の目に留まらせるのを目的としたカプセルだったのではと、新しい猜疑が喉の辺りを締め付け出して堪らなくなり、掠れた声で「だから何が」とセラに聞き返した。

「魔女探し。あるいは都市伝説の検証」 蠅の卵ほどの疑問符が頭の中でぐじゅぐじゅと孵化する俺を無視して、

「友達が撮ったんだけどさ」 iPhoneの画面を俺に向けた。読込中のアイコンがくるくる廻ったのち、暗い景色の動画が再生された。

 小刻みに手振れしているカメラが移しているのはどこかの夜。住宅街だ。左右に映っているのはアパートや貸しビル、三階建の平屋。住宅街だろうか。違和を感じた。中心に背の高い人物の後ろ姿。モノクロの縦縞がはいった膝丈までの長いチュニックの上から黒い亀甲紗のマントを羽織り、さらに腰までかかった白いウィンプルで頭を覆っている。画質は粗く、夜気に晒されているふくらはぎは赤みを帯びた白色だが、それがタイツなのか素肌を晒しているのかも判別できない。腰を大きく曲げながら側溝蓋の上を、星から星へと架けた細い綱を渡るようにブーツで歩いている。ただ夜の舗道を歩いているとは到底見えない。頭を前後に揺らして歩くから頭の被り物がはためき、虚空に軀を持っていかれないよう足を、手を、靱やかにめいっぱい曲げては伸ばしきってバランスを取り、一歩前進する。遅々としたその一連の動作をカメラは追う。家、家、アパート。学習塾、歯医者。不動産屋。建築物が画角の内に収まっては消える道を進んでゆけば

「下屋敷があって毎晩宴会騒ぎだった」 

 そうだ、違和感の正体はデジャヴュだ。ウィンプルが歩くは嘗て兄と俺のぶらついた道。

「いま曲がってる? 分けてよ」 分けない。いや吸わない。一度好奇心でこいつのリキッドを回し喫み、腹腔に煙を貯めて吐けば、いたずらに腹が空くし、意識は冴えているのに肉体だけは酩酊して通信速度の遅いコンピュータでするオンラインゲームよりも身振りがかくつく。頬の筋肉が引き攣り、勝手に歯の喰いしばる力が入って内側の肉を噛むのが快くなった結果止められないまま小指の爪程の肉片を口腔で咀嚼していた。二度とやらぬ。

「伊達政宗が……違う、何でもない。そもそもこれがなぜ魔女」

「なんかの儀式っぽいだろ、て友達が。最初これ送られたとき、どっかボけたシスターが徘徊してるんじゃねって内心思ったけど」

「修道院なんて無えよここ。三丁目だし」 

 恵比寿の、と俺が補足する。セラが頷く。

「なら余計に都市伝説じみてきた。いや今ならネットロアというほうが」   
 俺は首を傾げる。

「見たら願いが叶うって尾鰭も」

「他にも見た人が?」

「別の友達は二丁目の横断歩道で、友達の友達は駅西口のほうの商店街で」

「信憑性ないな」

「セージ、住んでんなら見たことは」

「顔も分からないのに?」

「みんな見てるの後ろ姿なんだよね。丑三つ時に。だから顔を見たら死ぬってバージョンも」

***

 だが見た。俺一人。

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