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リスペクト山村美紗サスペンス

山村美紗サスペンス劇場が好きだ。
ここ10年くらい、特に京都へ仕事で通うようになってから急に好きになった。サスペンスものが好きなわけでも無く、推理小説も全く読まないのだけど。

昼間に再放送されているのをわざわざ録画している。CMが鬱陶しいので、飛ばし見るためである。サブスクでも多分見られるけど、そこまで追いかけてる訳ではなく、昼間に再放送しているというのがいいのだ。年代やシリーズもバラバラで再放送されるくじ引き感がたまらない。

最初はよく知っている場所や、茶会や華道、舞妓さんが主題に出てくるから楽しかったのが、京都に知り合いが沢山出来てからは、登場人物の職業や立場が興味深かくて見るようになった。まさに登場人物と同じような職業や立場の人にも出会うようになり、リアルな人たちと顔が重なり益々面白くなった。

なぜか京都弁を喋らない片平なぎさに対し、無理矢理京都弁や大阪弁を喋らせている俳優陣、俳優は変わるが同じ名前の刈谷警部、などなどそんな違和感も面白かった。赤い霊柩車シリーズの大村崑と山村紅葉の掛け合いが最高で、フフフと笑ってながら仕事や家事をするのに丁度良い。

結末よりも、前半の1時間、登場人物が出そろうまでが一番好き。
芸者出身の女性が華道の若宗匠と婚約して、芸者友達の牧瀬里穂が出てきたり、片平なぎさの婚約者役の神田正輝が出てきたりして、事件が起きて、紐解いていく流れになる前半が一番楽しい。

それくらいしか好きな理由が分からずに見ていた。
そうだったのだが、先ほどお手洗いの掃除をしているときに分かってしまった。

京都に惚れ込んで住んで書いてた山村美紗なので、結構ちゃんとしている。
茶道や華道やお能とか。
設定はおかしい時もあるけど、お手前とかの指導はちゃんとしたんやなぁと見える。民放ドラマにありがちな、畳のヘリを踏んだり、そんな所作ないぞ、みたいな場面は出てこない。

ただ、サスペンスあるあるで、あの名所から名所まで絶対歩いて行けないのに、すぐそこみたいに行くあり得無さはちゃんとある。そんなお寺の階段の途中で待ち合わせなんかせえへんやろとか、何回現場に立ち会ってるねん、とか、おかしい突っ込みどころはちゃんとある。

京都に惚れ込んで住んで書いてた山村美紗なので、京都の色んな名士に偉い人や有名人に会ったことだろう。伝統的な式典などにも立ち会う機会は多かったに違いない。

だからあれだけネタが豊富なんやけど、あの怖い京都であんだけよう掻き回せたなと感心する。それが私が山村美紗の好きな、面白いと思うところなんやと分かった。

私は好きな京都に好かれたいと思って仕事をやってきた。京都や伝統文化をリスペクトするあまり、あれこれ気を回し気を揉んで、そして、ちゃんとしている自分でやろうとしていた。自分の中の最大限の丁寧さ礼節を重んじ、失礼のないように常に心配りをしていた。
まぁこれは私のアイデンティティの要素からくるもので、自然にできることでもあるだろう。それに、そのお陰で沢山ご縁をいただいたのは一生の宝である。

だけど、そうしていく中で出会った、何一つちゃんとしてないのに、色んな人とすぐ仲良くなれる、しかも一目置かれるような人が羨ましかった。そんな風に私がしたところで、私らしくなくて無理があっただろうけど。

そういう縦横無尽な感じが山村美紗サスペンスにはある。京都の怖さを知ってるはずやのに、お家元とか跡取りを何人も殺し続けて、碁盤の目の中でめちゃくちゃしてるところ。しかもちゃんとするとこちゃんとしてるんが、かっこいい笑。
京都人とは違う強かさで山村美紗は書いてたんや、と私は解釈した。そこが羨ましく、痛快なんやと思う。

作品の中では、誰にへえこらすることなんか1つも無く、山村美紗が全てを握っている。作品ってそれが当たり前やけど、京都でびびり倒していた私にはそれが痛快だったんやなぁ。
今分かった。
京都を小馬鹿にしてる訳ではない。
京都の人は嫌かもしれんけど。

京都のええところを存分に使って、自分色に染めまくって自分のものとして世に出してきた山村美紗リスペクト。


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