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京都文学賞(応募はできませんでしたが) 改稿を終えて

この一週間、以前に作っておいた作品をもとに京都文学賞向けの作品を創っておりました。昨日は徹夜しましたので、頭がクラクラしています。酒を 飲んだわけでもないのに支離滅裂とした文章が繰り広げられるかもしれないですが、まあ、そこはお許し下さい。

前回書いた通り、PDFに変換しても、Wordに変換しても、Libre Writerを使ってもWord形式のファイルを作っても、システムが原稿を受け付けてくれず、京都文学賞に応募できませんでした。次回応募希望者はMicrosoft Wordを使って応募してください。

不戦敗というのは気分的にいいものではないですが、仕方のないことでも あります。とある事情で甲子園に行けなかった高校球児よりはまだまだマシです。作品は別の賞に応募できますからね。

というか、今回書きたかったのはこういうことではないのです。ここからが本題となります。

今回、初めて以前書いた作品を改稿したのですが、いろいろと勉強になりましたね。最初に作品を読んだときに、「自分はこんなに能力が低いのか」と 驚きました。文章が下手というよりは、開発力が足りなかったのです。そのため、原稿のあちこちにバグがありました(注1)。

バグといっても、ゲームのように明らかにおかしい画面が出てきたり、強制的にゲームが終わるということはありません。読んでいて「これはおかしいぞ」と気づき、どこかおかしいのかを考え、どうすれば正しくもしくは面白くなるのかを試行錯誤する。バグの発見から解消まではそういった過程をたどります。改稿はその連続で、大変疲れるものでした。

ただ、一年も小説を書いていれば筆力がおのずとついてきますので、去年 書いた作品のどこがおかしいかがよく分かります。「書くことの難しさ」 から逃れていたとしか言いようのない文章もちょくちょく出てきます。書きたいことを書きたい放題にしていたわけですね。でも、そうすると大切な ことが読者に伝わってきません(注2)。書くべきことから逃げずに書き切ること。これが小説を書き続けるためには非常に重要なのだと感じました(注3)。

バグの修正は骨の折れる作業ですが、小説の完成度を高め、自分自身の能力を高めるよい機会でした。文藝賞に落ちた次作は、いまのところなかなか 直しようがないぐらいによくできた小説なので、一年後、反省すべき場所がうまく見つけられるように能力を高めていきたいです。

また、一年間、小説を放置していてよい発見もありました。登場人物の個性の際立つように配置されていたところは我ながら感心しました。パーソナリティの造形は自分の苦手とする分野だと思い込んでいたのですが、思いのほかそうでもないことが分かりました。これは収穫でした。

いろいろと修正を加えていくうちに小説のボリュームも増して、204枚から254枚になりました。ほとんど加筆で削除が少なかったのは、小説のプロットを作ってから制作に取り組んだゆえのことでしょう。これもまた大きな 収穫でした。自分は長編向きということが再確認できたのもよかった。

小説は新作を書き続けることが大事なのはいうまでもありません。ですが、こうして旧作を改稿していると、自分の成長や制作当時に至らなかったこと、自分の知らなかった能力について知ることができたので、とてもいい 経験になることを知りました。旧作を振り返ってみることも重要ですね。

京都文学賞の応募はかないませんでしたが、改稿を通して、勉強になった ことがたくさんあったことも確かです。理不尽なこととはいえ、悔しいのは我慢します。世に出るべきひとは必ず出てくるものですので、いつか出られる機会が生まれるようにこれからも精進いたします。


注1:どんなバグがあったのかと説明すると、それぞれが1回分(1500文字)に到達しそうなので、次回以降に回します。

注2:読者に伝えるべき大切なことというのは、作者からのメッセージではありません。小説をうまく読み進めるために必要な情報、登場人物の名状しがたい心情、ストーリーを一気に進めるためのナレーションなどです。こうした説明をうまく伝えようとしない作者が多いのです。

注3:「書くことの難しさ」から逃げずに書くことは当然のことだと思われるでしょうが、これがなかなかできていないものです。ほかのひとの小説でも段落、チャプターを通して何がやりたいのかよく分からない文章に本当によくお目にかかります。どういう流れでどういうゴールを目指しているのかがいまいちよくつかめないのです。ですから、なかなか小説の流れに乗れない。

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