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ユージーン・スタジオは『ホワイト・ペインティング』について説明責任がある

ロシアがウクライナに侵攻しています。そんななかで、これから私が始める芸術の話は不謹慎とも言えるでしょう。

しかし、これから話すことは「何も考えずに芸術のコンセプトをひねりだすと、現代美術は一瞬にして無価値なものになってしまう」という教訓を含んでいます。美術を鑑賞するひとはぜひ、このことを考えて鑑賞していただきたく思います。

私は昨年12月に観た、『ユージーン・スタジオ 新しい海』について以下のような記事を書きました。ここで書かれている内容を思い出して、いま、頭を抱えているところです。

今回のロシア侵攻で上記のnoteの記事で指摘していたことが問題として浮かび上がってしまったのです。

私は上記の記事では『ホワイト・ペインティング』を取り上げました。
『ホワイト・ペインティング』について詳しく知りたい方は、上の記事と合わせて、ユージーン・スタジオの以下のサイトをご覧下さい。

『ホワイト・ペインティング』は白いキャンバスに街ゆくひとが接吻をすることで生み出される作品です。キリスト教のある宗派にはイコンというものに接吻をする習わしがあるのですが、それを現代美術に応用させています。1枚の白いキャンバスに様々な国々のひとが接吻することにより、絵画のうえに多様な民族があるということを感じさせる作品となっているようです。

ユージーン・スタジオ曰く、「『ホワイト・ペインティング』は、国家や宗教、種族、組織などの大きな単位、グローバルレベルでの分断、例えばブレグジット、国境の壁、難民問題などの状況とは対照的にも見え」るとのことです。

このユージーン・スタジオのコンセプトに対して、私は以下の意見を述べました。

正教会はロシア正教会、ギリシャ正教会などといろいろの国によって組織がある宗教です。その時点で、「国境の壁」がありませんか? (中略)どうして、接吻する相手が国境を持っている宗教なのか? そもそも、国境のあるところから国境のあるところに「行く」という行為は、ブレグジットや難民問題とは対照的でなく、むしろそちらのほうに近いのではないでしょうか?

今回のロシアのウクライナ侵攻で、私の懸念が当たってしまったのです。

この記事を書いたときは知らなかったのですが、ウクライナ正教会は2018年にロシア正教会から独立しました。ロシア正教会側はそれを認めていないので、現在、ウクライナには2種類の正教会が存在しています。また、以下の記事からも分かるように、正教会はナショナリズムの要素を多分に含んでいる宗教です。

私は正教会そのものが悪いとは一切言いません。

このようなナショナリスティックな宗派の風習をもとに「グローバルレベルでの分断、例えばブレグジット、国境の壁、難民問題など」と対極的な考え方を示す作品をつくるのは無理があるといいたかったのです。

そして、不幸なことに、そのナショナリズムが原因で戦争が起きてしまいました。ウクライナからは難民も多数発生しているようです。

いまとなっては、『ホワイト・ペインティング』は屁理屈によって生み出されたがらくたと化してしまったのです。だって、この作品の発想源となった正教会が作品のコンセプトとは真逆の事態を引き起こしたのですから。

だからといって、『ホワイト・ペインティング』をいますぐ廃棄すべきだとはいいません。しかし、この作品が制作当初からはらんでいた矛盾とその矛盾が顕在化した今回の侵攻に対して、ユージーン・スタジオはなんらかの声明を出すべきではあります。

それは作品に対する反省でもいいですし、新たな理屈をひねり出すのでも結構です。なにをするにしても、次のアクションがこの現代美術作品にあらたなる意味性をもたらすことになるでしょう。

いちばん良くないのは沈黙です。『ホワイト・ペインティング』はもはや、現代美術の恥部と言っても過言ではありません。現代美術作品に現代を批評する性格を持たせたならば、その現代批評も美術作品のひとつになります。その現代批評が現実を誤認していたらどうなるか。当然、批判は受けるべきです。

もちろん、会田誠さんのような切実なのか適当なのかよく分からない意見に対して、本人が責任を持つ必要はありません。あくまでそれは意見だからです。でも、事実の誤認から出た作品に対しては、これが意図的でなかったとしても説明責任はある。私はそう思います。

まあ、私が一番言いたいのは、「むりやり現代美術にコンセプトをつけるな」ということなんですけどね。


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