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応募作の二重投稿についての私見

池上冬樹さんのツイートが話題になっているようです。

池上冬樹 @ikegami990さんのツイート                    ▼文学賞の下読みをしているのだが、編集者から連絡があり、何番のXは過去の某文学賞の最終候補作なのでボツにしたいと。作品名と筆名を変えているので検索にひっかからなかったが、下読み委員が「これ読んだことがある」ということで判明。作品名と筆名を変えて送ってよこすなんてタチが悪いよ。

私は下読みでも編集部でもないので意見を述べたところでなんの影響力も                                                                    ありませんが、思ったことを勝手に書き連ねます。

私の意見を簡潔に申し上げますと、応募規定に反していない限り二重投稿は行ってもよいですが、最終候補作は応募すべきではないという考え方です。

私自身、過去の新人賞の応募作をすぐに別の新人賞に応募しています。  それは病院のセカンドオピニオンと同じ考え方です。自分が制作した小説 がどのような文芸誌もしくはジャンルに合うかどうか分からないため、  別の編集部にも作品を送っています。私は純文学ともエンタメともとれる タイプの小説を書いていますので、双方の視点が欲しいと考えているのです。確かに、新潮新人賞に出したものを群像新人文学賞に送るといった  ようなことをするのは考えものですが、読者層が被らないと思われる新人賞への再応募は悪いことではないのではないでしょうか?

科学的な医療の世界でも、医療情報の複雑さゆえに、セカンドオピニオンが推奨されています。医者の判断はファクトではなく意見ですので、セカンドオピニオンを認めているのでしょう(注1)。もちろん、ファーストオピニオンは尊重されるべきではありますが。いずれにせよ、文学の世界は医療と比べれば科学的でない、むしろ少数意見によって判断される世界。にもかかわらずセカンドオピニオンが許されないというのは、応募者にとって誠実ではないと私は思います。 

池上さんは作家の伸びしろに対して言及されていますが、新人賞受賞後の 「生存」に関しては受賞してから判断されるものですので、最終候補作を 二重投稿うんぬんは関係ありません。池上さんが批判している、「過去に 新人賞を受賞したのに別の新人賞に応募するひと」が最終候補作を二重投稿して受賞したかどうかは分からない以上、池上さんのご意見は理屈になっていません。

応募規定を守ることは当然ではありますが、二重投稿が禁止されていない 新人賞への応募に対して批判されるいわれはなかろうと思います。

ただ、新人賞の最終候補作になった作品の二重投稿はダメだと思います。 それは作品の質うんぬんではなく、編集部との関係構築のことを考えての ことです。

エンタメ系の小説雑誌は知りませんが、文芸誌では最終選考で落選した作品が後になって、文芸誌に掲載される可能性はあります。過去に吉田修一『Water』(文學界)、大塚銀悦『久遠』(文學界)、大鋸一正『ヒコ』(文藝)が挙げられます(注2)。もちろん、その後、当該新人賞を受賞する必要はありますが(注3)。 

それに、最終選考に残れば編集部は作家の名前と作品名を憶えて下さるはずです。そうなれば、編集部との関係はとりあえずは築けたことにはなりますので、そこで二重投稿をするのはさすがに不義理だと私は思います。最終選考までは編集者が選べますが、受賞作は選べません。逆にいえば、編集部はそこまで作家の能力を買っているわけですから、二重投稿などせず、次回も絶対に応募するとの気概で頑張ったほうが、最終的にはよい結果になると     思います。

最後に、いま問題になってる小説が私の作品でないことを祈ります。         まあ、編集部から電話が来なかったから大丈夫でしょう。


注1:事実と意見を厳然と分け隔てることの大切さは、医学のような自然科学だけでなく、社会科学や人文科学においても重要であると思います。

注2:池上さんは「最終候補作は本にしないという不文律が前はあった」とおっしゃっていますが、『Water』は『最後の息子』とともに書籍化されましたし、『ヒコ』に至ってはそれだけで単行本になっています。それも池上さんが例示されています『バトルロワイヤル』が最終選考に残ったときよりも前の話です。  

注3:大塚さんは文學界新人賞を受賞していませんし、大鋸さんは『フレア』で優秀賞止まりでした。大塚さんの『久遠』は山田詠美さんが選評で          おもしろがったんです。 

 


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