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コトバを学ぶ-3

前回の続き

コトバが出ない、怒りが消えない

どうしても許せないことがあるとき
それは誰に対して許せなさを抱えているんだろう。

去年から私はとある対人関係の中で
自分のコトバを押し殺すようになった。
相手が放った言葉に対して私は頻繁にショックを受け
文字通り何度も「固まった」。
その時の感覚は体にナイフを突き刺すような痛みで、その相手と距離ができた今でもまだ傷が鮮やかに残っている。

こちらが意見を言ったら相手が嫌な顔をする。
こちらが黙ったら相手がうんざりする。
なにをしても空気が重い。

ひねり出した作戦

それでも関係をつなぎたくて私が選んだのは

私が相手の言葉にちっとも賛同しなくても
相手の言葉を全面的に優先する

という作戦だった。
そのたびに私は自分の感情を飲み込んだ。

相手の態度に合わせていたら
関係性など築けるはずがない。
論理ではわかっていたけれど
この作戦を選んでしまった。

消えない怒り、途方に暮れる

元をたどると相手に怒っているというよりも
自分の気持ちを殺した私自身に怒っているのかもしれない。

どうあれ腹が立っている。

怒りを相手にそのままぶつけるのも
なにかが間違っている気がする。
そもそも怒りを持っているなんて
相手のせいにしてるってことじゃないか?
人のせいにしていては問題は解決しない。
怒りなんて消したい。
でも消えない。
どうしたらいいのか。

途方に暮れていた。

その件について私はある日
さとしさんに話をした。

さとしさんのこと

さとしさん。本名は中尾さとしさん。
さとしさんは前回の記事に書いたくにちゃんのもとで学んでいた。
ご自身の中に生まれる葛藤、
それを放置せず探求、
人と話をすることが好きだという思い…
ご自身をまるごと熱源にして
今も日常の中で学びを深めている。

お仕事は対話関係のこと。
主に場づくりのお仕事をされていて、
ご自身でも様々なワークショップ開いている。
私も度々参加したし、今はさとしさんの開いている某グループのメンバーとしてもお世話になっている。

さとしさんとの対話

消えない怒りに立ち往生して途方に暮れているんです、
という私の状況を電話ごしのさとしさんに伝えた。
怒りが生じたときのことを思い出しながらしばらく話す。

すると突然、
カラダの中にためていた言葉がぽろっと出てきた。
怒りのような気持ちも乗せて、ぽろっと。

怒りの声にはあなたの魂が乗っている

その言葉を聞いたさとしさんは
「ゆかちゃん(の声色)が生き生きしてたよ」
「怒りに魂を感じた」
「(自分の中から沸き起こる怒りという)エネルギーを飲み込んだことで自分が弱っていくような感じがあったのでは。」
という言って怒りを「あっていいもの」として見てくれた。


心も体も開いていく

私のコトバを遮ることなく辿るさとしさん。
批判の色がない。あるのは絶妙な共感だ。
テクニック的な共感は警戒してしまうけれど
さとしさんの共感はテクニックじゃなくて本心。
だから私も嬉しい、安心する。

話しているうちに肩の力が抜けて胸のあたりが開いていった。
まるで心と体の猫背改善だ。

話し終わるころには私のアタマの中にスペースができ、息もしやすくなっていた。

つづく

▼たてものと暮らしのエッセイです▼

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