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こじらせ鬱だった僕が「やっていこう」の気持ちになるまで

おはるかぶりです。くぼたです。

さのかずやさんのマガジンに寄稿するために動きだしたこのnoteアカウント。
このアカウントの記事をきっかけに、ローカルの最前線で活躍する人にお会いすることができるなど、数か月前までは夢にも思わなかった様々なチャンスを与えていただくことができました。本当に皆さんありがとうございます。

今回からは身近で起きたことや、今考えていることなど、自らテーマを設定して記事を綴っていこうと思います。

とりあえずいつか書こうとストックしてあったテーマがいくつかあったのでTwitterの投票を使い最初に書くテーマを決めることに。

今回は1番得票が多かった「2,『やっていき』のリソース枯渇問題」を書いていきます。(ちなみに4は0票だった。わかる。インターネットでそういうの要らんよね。わかる。)

ただ、書いている途中で本来のテーマから徐々にずれていき、「こじらせ」や「鬱っぽさ」からどうやって脱出するかみたいなテーマになっていってしまったので、申し訳ありませんがそのつもりで読んでいただくと幸いです…

そして、文体も変えてます。ですます調やめました。(偉そうな感じになってしまいすみません汗)

そんなわけで前置きが長くなりましたが、本題へ行きたいと思います。


心の中に小さなヤンキーを宿す人へ

まず断っておきたいのは、この文章が想定している読者は、「社会に対してめちゃくちゃ課題意識を持っている(=抱えている)、だが自分一人の力でどうなるとも思えないし、半ばあきらめてしまっている。もはや死ぬしかない。」という人々だ。

だから、今の生活に不満が無い安定志向の人や、過労やハラスメントなど他の理由で精神的な不調をきたしている人は、申し訳ないけれどもあまり参考にならないと思う。

ぜひ、「自分の中に小さなヤンキーがいるが、世の中的にそいつは厄介で、自分でも消し去りたいと思うときもあるけど、どうしてもそいつを見殺しにできない」という人に読んでほしい


(※そして、この文章では「こじらせ鬱」とか「やっていき疲れ」といった、僕が勝手に作ったワードが頻出するが、これらのネーミングには全く医学的見地はないし、どんな原因・症状があったとしても医師に「うつ」と診断されれば須らくその人は「うつ」の患者である。

この文章は、ある程度読者層を限定しながら、一方で当事者をラベリングしたり、貶めるような意図は全くないことを予め断っておきたい。)



「こじらせ」からはじまった慢性的な鬱

まず、なぜ抑うつ的な状態が発生するか、当事者として思い当たる原因を挙げてみたい。

1,いわゆる「いい子」として真面目(裏を返すと非常に硬直的)な人間として育てられる。

2,途中までは運よくレールの上を順調に転がっている。

3,しかし、何らかの社会的欠陥(例えば格差など)に気づいてしまい、レールの上を走る自分に疑問を持つようになる。

4,斜に構え、ニヒリズムに陥る。

5,何もしなくなる。

6,次第に周囲との社会的な能力差が顕在化してくる。

7,周囲の評価も落ちてくる。

8,「いい子」として育てられてきたため、社会的評価=自己評価なので、自己評価が低くなる。

9,「社会も自分も何をやっても駄目だ。」と思い込むようになり、鬱のスパイラルに完全に陥る。

この文章では以上のような過程を経て発生した抑うつ的状態を「こじらせ鬱」として便宜的に名付ける。

この場合、自己評価が低くなる前に、自らにおける社会の評価が低いことが特徴だと思う。

僕は、まず、1年浪人して努力して入ったはずの大学が、あまりにもエスカレーターで入ってくる人間や、東京はじめ関東出身者が多いことを知った。
公正公平と信じていた日本の教育制度、または地方と東京のパワーバランスがあまりにも偏ったものであるという認識をしたため、「自分のような地方公立高校出身者は虐げられている」と思い込み、ニヒリズムに陥った。

また、就職した時も、入った会社のあまりにも古い企業体質と、金融という職業柄、ある種の"ずるがしこさ"が求められる場面が多く、「結局仕事は嘘と欺瞞、何のために仕事をしているんだ」という態度を生み出し、ニヒリズムに陥った。

では、この「こじらせ鬱」のスパイラルはどのようなものだったか。

・学業・仕事が回らない
「こじらせ鬱」になると社会的に有意義な行動(=仕事・勉強)に意味づけすることが難しくなるので、それらを行うことは懲罰を受けることとほとんど同じになってしまう。
仕事や勉学に意味を見いだせていないので、同じミスを繰り返しても改善する気は全く起こらない。

・基本うつと言わないとうつと認められない(ただのできないやつになる)
当然、ミスしても改善しないような人間は「できない奴」という評価を受ける。
ただ、こちらとしてはやはり、仕事・勉学に全く意味を見いだせていない(この状況が「こじらせ鬱」の本質的症状と言ってもいいかもしれない)
こうなると負のスパイラルから抜け出すためには、もはや鬱を告白するしかなくなる。

・「こじらせ鬱」の人は鬱と言いづらい
ただ、「こじらせ鬱」の人間は上記のように非常に社会的評価を気にする(他人の目が気になる)。
 鬱=落伍者的イメージが強く残る社会・コミュニティでは、鬱を告白することは社会に対して白旗を挙げるような苦痛を伴うものだ。
だからこういった人が鬱を告白した時というのは相当状況が悪化した後となる。

・薬は「治るきっかけ」にしかならない
決心して精神科にかかっても基本は薬物療法になる。
なぜなら一般的な精神科は初診の予約が半年先になることもあるなど、キャパオーバーになっているところがほとんどなのだ。
だから初診以外は基本「最近どう?」くらいのことしか聞かれず、次の診察までの薬を与えられるだけになってしまう。
薬は確かに身体的な症状(不眠や不安)には効く。
ただ、「こじらせ鬱」の構造が上記のようになっている以上、再発の防止も含めた根本的な解決は、結局自分の動き方次第となってしまっているのが現状だと感じた。



「こじらせ鬱」の対処法

以下には僕が「こじらせ鬱」を和らげていった過程を記した。

まず断っておかなければならないのは、以下の対処法には全く医学的見地はない。
あくまで僕がたどってきた過程をいくつかのポイントにまとめて記したものに過ぎないことはあらかじめご了承いただきたい。

・まずは休む、というか自由な時間を作る
「こじらせ鬱」の場合、かなり深いところまで自分を見つめなおす作業が必要となる(ちょっと宗教っぽいけど)。
それはつまり、必要以上に重くのしかかっていた肩の荷を一つ一つ下ろすことであり、時には自分の弱さを受け入れることも必要となる
こうした作業は仕事や研究などに忙殺されているような状況ではとてもできるものではない。
だからまず、何も考えずぼーっとできる環境を作るのが最優先だと思う。

・およそ体に良くなさそうなことは全てやめる
酒、特に寝酒と大酒はまずやめる。
寝酒はそのまま睡眠不足に直結するし、大酒は二日酔いでいわばバッドトリップのような症状を引き起こす。
一日に850ml(ショート缶とロング缶1本ずつ)以上酒を飲むような習慣がある人は、診察を受ける時にお酒の相談もした方がいいかもしれない。
たばこも吸った後にバッドトリップに入るのでやめる。

・早寝以外の生活リズムはさほど気にしなくてよい
つまり、朝は早起きしなくても良い。下手に早起きすると昼眠くなり、昼寝してしまい、夜眠れなくなったりする。
食事も毎食カップラーメンとかでない限り、好きな時に(できれば3食)食べるのが良い。
この辺の生活リズムは過度に気にしすぎるとかえってストレスになるので注意。

・動ける時に動く
外に出ることは体内時計を整えることに一役買う。
さらに、入った店の会計などで必ず誰かとコミュニケーションをとることになるので孤独を防げる。
だから、「今日は出られる!」と思ったら出た方がいい。
人目が気になるなら、マスクやメガネをしてもいいし、知らない街まで足を伸ばすのもいい。

・自分が属すコミュニティからちょっとはみ出した人に会う
ちょっと元気が出たら知り合いの知り合いくらいの人、または、過去の友人に会おう。
自分が普段から接している人は基本優しい言葉を与えてくれる。
ただ、それだけだと自分を客観的に見つめなおすには若干優しすぎてしまう。
「ここまで来たらトンネルを抜けるまであと一歩!」と思い切ってそうした人に会うと、「こじらせ鬱」を脱するための重要なヒントを与えてくれる。



「こじらせ鬱」が治っても「やっていき疲れ」が来る

上記のような慢性的な鬱っぽさが改善されたと感じた以降、しばらく躁っぽい精神状態が続くが、その後も軽い揺り戻しのような症状が定期的に来ることがある。
本質的にはこちらの方が「『やっていき』のリソース枯渇」に当てはまるのかもしれない。
この文章では「こじらせ鬱」と対比して「やっていき疲れ」とでも呼ぶことにする。

この症状には割とわかりやすい原因がある。
それは本当にちょっとしたこと(寒い・暑いで寝不足、酒の飲みすぎ、家族との不和、なんとなくの孤独感など)がほとんどだ。

だからこれは自分の管理の下で上手に付き合っていくことが不可欠となる。

・割と定期的に来る
非鬱の人でも気分の上下があるように、この症状は定期的に来てしまう。

・すこし気を抜いただけで来る
上に挙げたような些細な原因で抑うつ的症状になってしまうため、生活には非常に丁寧に気を使う必要が生じる。

・早めに処置しないと長続きする
しかも、放っておくと慢性化する。
ひどい場合には上に書いたような慢性的な鬱に逆戻りしてしまうこともあるだろう。
だから、早め早めに対処することが重要となる。

・「こじらせ鬱」とは対処法異なる
慢性的な「こじらせ鬱」はその症状の中にいると、自分で原因をつかみづらいからこそ慢性的となるのではないかと思う。
一方で、こうした「やっていき疲れ」は割と原因が自分でもわかるものが多い。
予防も対処も日々の行動を若干変えるだけで可能であることがほとんどだ。


「やっていき疲れ」の対処法

では「やっていき疲れ」の対処法はどんなものか。
僕が実践している方法は以下の通り。
(何度も言うが医学的見地は全くないことに留意してほしい)

・「~すぎる」ことは控える
これは予防的な観点から。
酒を飲みすぎる・働きすぎる・寝るのが遅すぎる…など過度な行動は翌日以降に禍根を残すのでやめる。
ここは我慢が必要。

・「来たな」と思ったらすぐ動く
まず、早めに動かないと簡単にスパイラルに陥るので、早めの行動が不可欠となる。
逆にそれさえできてしまえば、簡単に防ぐことができる。
どう動くかは以下の通り。

・粛々とタスクを進める
タスクがあるなら多少苦しくても早めに片付けよう。
「やらねばならぬこと」があるとそれだけで心理的に負担になってしまう。
また、少しでも「やってる感」が得られると自己評価の向上につながる。

・寝る
基本眠いと思ったら寝る。
なぜなら疲れてるから。
あと寝るといろいろリセットできる。

・サウナめちゃいい
サウナ(特に交換浴)めちゃいいです。
特に酒とかたばことかに中毒気味になってる人はそれらをサウナに代替させましょう
暑い場所に長い時間居ることでストレス耐性つくし、水風呂に入ることで抗コンフリクト的な効果あるし、新陳代謝も良くなる。
水分補給など気をつけなければならないが、基本いいことしかない(と今のところは思ってる)。


「おわりに」

なんか劣悪なコピペブログみたいになってしまいました…
本当にごめんなさい…

でもたぶん僕と同じ状況で悩んでる人かなり多いんじゃないかと感じています。(もはやこの言葉も安っぽいけど)

最後に言っておきたいことは、このツイートで言ってることはマジ。
本当にこういう鬱的状況になっちゃってる人も絶対自分信じて生きててほしい。

そのためには今まで自分がバカにしてたり、胡散臭いと切り捨てていたことを素直に信じてみたりするというかなりの苦痛を伴う作業が必須になる。

だけど、それを乗り越えて、最近はどうせ死ぬならバカになってみてからでもいいかなと思うようになった。

「だから絶対に次会う時まで死ぬなよ。」
おととしのフジロックでサンボマスターが言ってたこの言葉絶対信じて生きて行こうな。

以上!


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