もうひとつの「田舎の未来」① -「地元」のこと
今年もあと1日と数時間…
おはるかぶりです(安曇弁でご無沙汰してますの意)。くぼたです。
冬の朝ってなんかいい感じですよね。クソ寒いけど。(昨日の最低気温は-5°C)
前回書いた記事が想像以上に反響が大きくて会社の同期に読まれるところまで行ったみたいです(めちゃ冷や汗かいた)。
その同期もさのさんのブログに衝撃を受けた1人らしい。
どうやら僕はすごい人のマガジンに記事を載せているようだ。本当にありがとうございます。
さて、今回の記事から、3回に分けて、
・僕の「地元」のこと
・僕の「家族」のこと
・僕の「仕事」のこと
として、僕なりの「田舎の未来」をつづったいきたいと思います。
この3回で僕の地元とそこにある状況を知っていただくことで、さのさんの遠軽・道東とは異なる、別のフェーズ、別のタイプの「田舎」があるということを実感していただければと思います。
そしてそれぞれの地域でどう「やっていくのか」を考えるための、また、僕自身が何かを「やっていく」ためのきっかけになればいいかなと思います。
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では、本題に行きたいと思います。
今回は僕の「地元」のことです。
「僕の地元は安曇野市」…?
僕の地元は長野県安曇野市です。って言うとなんとなく自分では違和感あるんですよね。
というのも、
・2005年にできた比較的新しい自治体であること。
・松本都市圏の衛星都市である5つの町村が対等合併してできた自治体であること。
・上のことから厳密にいうと、安曇野市は松本都市圏の衛星都市の「集合体」であり、「安曇野市」という名前が、元々あったある一つの共同体を指すものではないこと。
といった状況があるためです。
地図を見ると市域の東半分が平地になっていて二本の線路が走っています。
そしてこの線路は市内で交わることなく、松本駅へと向かっています。
このことが示すように、安曇野市は松本という都市の郊外に位置し、多くの都市機能(ターミナル駅・商業施設・文化施設・高等教育機関・大病院など)は松本に依存しています。
実際僕も高校は松本の高校に通っていたし、服買ったり映画見たりライブに行ったりというのはすべて松本に出てすることです。
なので、今回の記事は僕の地元を、この松本都市圏という大きなくくりで捉えるところから書いていこうと思います。
地元①:松本市のこと
そんなわけでまずは都市圏の中枢・松本の話を。
ダンベル型の市の東部が中心市街地で、西部は上高地や乗鞍などの山岳観光地帯です。
基本情報はWikipediaを利用しましょう…
人口24万(長野県内で2番目)で都市圏人口は45万弱、商圏でいうと60万人を抱え、最近では各シンクタンクの全国規模の都市ランキングで上位にランクインする(※1 ※2)など小さいながらもある意味注目の都市と言えます。
(↑町の中心部・本町通りと伊勢町通りの眺め)
松本は東京から2時間半、名古屋から2時間、大阪から3時間強という大都市圏からのアクセス。
この、めちゃくちゃ遠いわけでもなく、ストロー効果を引き起こすほどの近さでもなく、という絶妙なアクセスがあることで、観光や製造業で外から稼ぎ、地域内で消費するという循環を生み出し、ある程度独立した経済圏を構築できているといえます。
そういう意味では松本は全国の地方部に比べてまだ楽観的な状況といっても過言ではないという感じ。
ただ、そんな街にもちゃんとリアルは存在しています。
「こもる若者」「出ていく若者」の二極化
松本地域ではもともと精密機械工業を中心とした製造業が主力産業ですが、経済のグローバル化と共に工場の海外移転などで雇用が縮小、生き残った企業も大企業の傘下に入るなどしたため資本は外部へと流出していきました。
また、モータリゼーションが進み、大店法の規制緩和・廃止以降郊外へと消費が流出。中心市街地は空洞化し、空いた土地はコインパーキングなどの低利用地となり、路線バスは最盛期に比べ大幅に減便しました。
(森財団の都市特性評価で松本市の「交通・アクセス」の評価項目は全国72都市中67位)
「魅力ある都市」といっても大都市と同様の生活などもっての外。
『地方にこもる若者たち』で指摘されたような「地元を一度も出ることなく、休日は郊外のイオンモールで買い物、車は一人一台、子供ができたら地価の安い郊外に一戸建て注文住宅」みたいなライフスタイルは、松本でも"いたって普通"なのです。
そして、そうしたライフスタイルを好まない若者は東京・名古屋・大阪といった大都市圏へと流出。
どの都市とも絶妙な距離感であるからこそ、逆に出て行ってしまう人も当然います。
そして、一度出て行ってしまった若者はなかなか帰ってきません。
長野県では大学進学時に7割の学生が県外へ流出し、そのうち6割が県外で就職。
だから、僕みたいに都会の大学からUターン就職したところで、地元の友達はほとんど地元に残ってないからけっこう孤独。
「残る人間」と「出て行く人間」のどちらでもないという状況です。
こんなふうに松本は僕からすると「ある程度便利だし、退屈しない。そうは言っても住むにはそれなりの覚悟と工夫が余分に必要な街」だとおもってます。
地元②:安曇野市(旧明科町)のこと
そして、そんな松本の郊外に位置するのが僕の「出身地」である安曇野市。
でも僕が生まれた年にはそんな自治体は存在しませんでした。
2005年(平成17年)10月1日 - 南安曇郡豊科町・穂高町・堀金村・三郷村・東筑摩郡明科町が合併して発足。
僕の出身地はこの中にある「東筑摩郡明科町(ひがしちくまぐんあかしなまち)」。
安曇野市の地図に二本線路が走ってるうちの東側の方、その北側の地域が「明科町」でした。
明科町は篠ノ井線で松本から2駅、さらに長野駅へも直通というアクセスで、長野県の二大都市と直接鉄路でつながり、街自体も鉄道の開通とともに発展。
以前は明科駅から各地への路線バスが走っていて交通の要衝として大いに栄えていました。
(↑『明科町史 下巻』 p.335,344-345より。全盛期は多くの小商いの店でひしめき合っていたことがうかがえる。)
しかし、モータリゼーションに伴って高速自動車網が発達し、鉄道の影響力は相対的に低下、明科駅の駅勢圏にある農山村地域の人口減少や、駅前商店街から近隣地域のロードサイド店への消費の流出も相まって街の勢いは急激に減速していきました。
(↑現在の明科駅周辺の様子)
こうした状況を打破しようと町が採った選択肢が「合併」でした。
「平成の大合併」がもたらしたもの
合併以前の5つの町村はそれぞれ似たような規模の別個の中心市街地を有していました。
ですので、安曇野市となったところで明確なそれ自身の中心市街地と言える場所がありません。求心力のあるリーダーがいないチームのように、合併後の安曇野市は結構バラバラです。
合併当初は、地域のコミュニティは旧町村単位で残っており、各地域同士の縄張り意識みたいなものが存在しました。
市庁舎の再編をどうするとか、公共施設の見直しをどこからやるかとかみたいな議論になると旧町村単位で対立することがよくあったのです。
結果、それぞれの地域のバランスを取った曖昧な政策が採られることがしばしば。
ここ最近はそうした傾向は目立たなくなったものの、裏を返せば旧町村単位で設置されていた公共施設の再編が進み、そうした施設を集いの場として利用していた人たちのコミュニティが崩壊しつつあります。(これもこれで問題です)
(↑公共施設再編の一環として民間企業へ無料譲渡が提示された旧明科町保有の保養施設)
合併の影響は別の側面でも。
旧明科町にはかつて多くの山村集落が存在していました。
戦国時代、中信には多くの山城や砦があり、そのような山城を守った番兵が居住する集落が誕生しました。
しかし、戦後、不便な立地であるそのような集落は離村が進み、数多くの廃村集落を生み出すことになりました。
明科町時代にはそうした集落の文化を保存する取り組みを行政が担っていたのですが、合併してからはそうした動きが鈍化。貴重な農山村文化が時代の淘汰と共にその記憶まで消え去ろうとしています。
明科町時代は整備がされていたようであるが、安曇野市となった現在では錆びてしまった看板や荒れた道などを見ても大切にはされていないようだったな~。合併すると文化財にお金を掛けなくなる市町村って多いけど。。。。。。。なんででしょ
以上のような状況などから、「合併しない方がよかった」という声が根強く残っているのが事実です。
悲観と楽観が混在する「生ぬるさ」
以上、松本都市圏という広いくくりの地元から、安曇野市、特に旧明科町へと「地元」の解像度を高めながら現状と課題を綴ってきました。
さのさんの遠軽、あるいは道東とみなさんそれぞれが住んでいる・住んでいた地域と違う、あるいは同様の「地方」の姿は感じていただけでしょうか。
いろんな「地方」の姿がある中で、僕の地元はなんとなく「生ぬるい」雰囲気に包まれているような感じがします。
松本はそれなりの人口規模があるし、都市として全国的に見ても評価が高く「別に悪くない、むしろ良い」感じのまち。
明科は一つの町としては生き残れなかったかもしれないけど、合併して安曇野市となりしばらくは大丈夫かなといった感じ。
でも、僕からするとこの生ぬるい状況が地方にとっては毒になりがちだと思ってます。
松本には(特に大きな反対の動きもなく)気づいたらイオンモールができてたし、その影響の一例として駅前のパルコは前年比の8割まで売上を落としています。
明科も、気づいたら近隣エリアに新たなロードサイド型のショッピングセンターができたりして、静かにその商圏をさらに縮めつつあります。
車さえあればなんとなく不便なく暮らせる、この生ぬるい地元の空気感は「気づいた頃にはもう街が手遅れだった」という事態に繋がりかねないのです。
ポテンシャルがある街。だからこそもっとそれを活かしたい!
松本はここ5年間くらいで個性的な個人店がめちゃくちゃ増えました。(僕の松本のお気に入り&行ってみたいお店リストを有料エリアに載せてあります!是非ご覧ください)
先に述べたような課題・現状はいろいろありますが、今、松本は個々の「やっていき」の動きがかなりいい感じに回ってきてる状態です。
(↑松本の「やっていき」の場でもある"多目的イベントスペース"、Give me little more)
だから松本は、これから個々の動きがより大きな組織(行政や企業)を動かし、互いの相乗効果を狙っていくフェーズにあると思います。
(特に、公共交通を担う行政や企業が頑張ってほしい…!)
仮にこのフェーズを乗り越えることができれば、個人店で生まれた需要が地元の大企業・行政を動かすという、まさにボトムアップで街が変わった・良くなったといえる状況になると思います。
一方、明科は郊外ということを加味しても、若い個人店はほとんどなく、なんとなくこのまま寂れていっちゃうのかなーという雰囲気があります。
でも、上でも述べたように、交通の拠点としてポテンシャルがめちゃくちゃ高い街。
しかもまだそれに気づいてる人がほとんどいないという、僕からすると超ブルーオーシャン。
(明科駅から。みたまんま、真っ青ですね。海ではないけど。)
だから僕としてはこの街で何か新しい動きが生まれることを大いに期待しているし、何ならちょっとずつでもいい、僕自身も動いていかねば…!という気持ちでいます。
だから、何でもいいので僕の街で何かやりたい人いたら声かけてください。
唐突ですが、これは僕の宣言です。
さのさんにこの記事を書かせてもらったバイブスを僕の街にも広めていきたい。
ぜひ、僕と「やっていき」ましょう。
書き始めた時にはこんな形で文章が終わるとは全く思ってもいなかったのですが、今回はこの辺で。
あんまりまとまってなくてすみません。
この記事の当初の目的ちゃんと達成できてるのか?
まぁいいや。
次回は集落・家族についてです。
次お会いするのは2020年になってからですね。
みなさん良いお年を。
松本のお気に入りのお店リスト↓
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