【自己紹介】声楽コーチとしてのSACHIMI YAMADAとは
【指導実績】2022,9月更新
・東京藝大声楽科現役合格
・マイコン(全日本学生音楽コンクール高校の部)本選第一位
・日本演奏家コンクール(高校生の部)第一位(2位該当者なし)
・東京国際音楽コンクール ミュージカル部門 准本選通過
・12歳から70歳までの男女の指導経験あり
はじめまして。
私は、オペラの発祥の地イタリアで10年オペラ歌手として活動をしてきました。
現在、まだ子供が小さいので演奏活動はセーブし、オンラインや対面レッスンを通して、発声改善に特化した声楽レッスンをしています。
こんな私ですが、もともと落ちこぼれ組出身。
自身の声楽人生の半分を占める10年間は日本で過ごしましたが、正直言って全くパッとしないものでした。
今思えば、何が正しくてどこをどう直していけばいいのか具体的にわかっていませんでした。
当然コンクールやオーディションに通るはずがなく、ほとんど評価されることのない日々を悶々と過ごしていました。
声楽業界の中の自分の立ち位置(つまり現実)に気付いたのは、大学院を修了して少し経った頃。
毎日アルバイトをしながら生計を立てつつ、月3~4回の安くないレッスン代を捻出。しかし歌に関しては現状維持で精一杯。
時間も体力も経済的にも制限がある中で、本来はもっと有意義に歌に向き合わなくてはいけないはずが、ただ曖昧に練習を繰り替えしていました。
この生活を続けて、今まで伸び悩んでいた歌が好転・激変するわけもなく・・
『こんな生活もう嫌だ・・』
社会にでて約3年奮闘した末、心は擦り切れ、自分がなんで歌を歌ってるのかわからなくなっていました。
留学に興味を持ったのはこの時が初めて。
もともと海外恐怖症だったため、留学は他人事でした。
しかし思い立ったらすぐ行動する私は、その数か月後にはイタリアのシチリア島にいました。
そこでの生活はこれまでのものと180度違うもので、音楽とカルチャーショックに溢れていました。
毎日のように劇場に通い、オペラ歌手を舞台横の関係席で見せてもらい、言葉通り『間近』で聞き、見て、体感することができました。
今思うと、この時に、これまで磨かれてこなかった耳や感性を育ててもらったのだと思います。
レッスンもこれまで受けてきたものと違い、歌の基礎を徹底的に叩き込んでもらいました。
ベルカントの真髄を、耳と身体で理解した時間でした。
どんどん吸収する私にマエストロは『さちみはカラカラのスポンジのようだね』なんて言われました。
その後も様々な難局を経験し、4年後には出場したコンクールはすべて入賞するほどまでになりました。
【入賞歴】
アミグダラ国際声楽コンクール第1位
アチレアーレ国際声楽オペラコンクール第1位
シモーネ・アライモ主催Bel canto国際コンクール第1位
ベニアミーノ・ジッリ 国際声楽コンクール第2位 等
【オペラレパートリー歴】
モーツアルト作曲:【フィガロの結婚】スザンナ【コシ・ファン・トゥッテ】フィオルデリージ、デスピーナ【ドン・ジョバンニ】ツェルリーナ
ドニゼッティ作曲:【愛の妙薬】アディーナ【ドン・パスクアーレ】ノリーナ
ヴェルディ作曲:【リゴレット】ジルダ【椿姫】ヴィオレッタ、アンニ―ナ
プッチーニ作曲:【ジャンニ・スキッキ】チェスカ【ラ・ボエーム】ムゼッタ
結果がついてくるようになったのは33歳の頃。
その年に結婚し、コンクールやオーディションで忙しくしながら演奏活動もしていましたが、正直年齢はネックでした。
出産というタイミングも考えなくてはなりません。
この生活を続けることができるのはせいぜいあと1,2年。
しかし私はイタリアにおいてなんの後ろ盾もないただのアジア人。
コンクールに入賞するような実力がつけば世界は変わるのだと本気で信じていましたが、実際は声楽家としてただスタートラインについただけ。
ちょっと歌えるアジア人声楽家となっただけ。
マリア・カラスの言葉にも「声楽というものは一生勉強」とありますが、基礎を学び、スキルアップに全身全霊を捧げることができる時間は、そう長くはないのだと、ここでやっと気付きます。
なぜなら、評価されるようになってからがキャリアのスタートだから。
異国の地で仕事を頂けるような信頼を得るには一期一会の機会に確実に良い演奏をし、それを年単位で積み上げ、安定した歌唱力と良い人間性をもっている歌い手であることを周囲にアピールしていく時間が必要です。
また人間関係というものは簡単に広がるものではありません。積極的にいろんな場で自分を売り込む必要もあります。
それにはせめて5年はほしいところ。
逆算していくと、必然的に20代後半には発声の確立をしていかないと難しいとわかります。
プロの声楽家になる為には、歌の技術や音楽性などもちろん大事です。
だけどそれと同じくらい、人生のセルフプロディース力が問われます。
声楽家は個人事業主であり、同時にみんなライバルでもあります。
あなたを引き上げるために助言をしてくれる親切な方は多くありません。
しかし私は自らの苦い経験から、自分と同じような不完全燃焼な思いをする同志が一人でも減ることを望んでいます。
成功者が少なく情報も少ない閉ざされた世界にある声楽家への道。
せっかく音楽や歌が好きでこの世界に飛び込んできたのに
『ーーー時間切れーーー』
そんな人生、あなたは望みますか?
私は良い勉強を積み上げることのお手伝いには自信があります。
だけど、時間だけはどうしようもありません。
だからこそ、人生を逆算し、常に客観的に自身を見る視点を持ってもらいたい。
私は多くの技術のみを伝える指導者ではなく、プロの声楽家になりたいという夢を実現するために、生徒さんの一番近くで伴走するような指導者でいたいと考えています。
以上が、声楽コーチSACHIMI YAMADAとしての在り方です。
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