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ライター・編集の生存戦略問題

個人的には「ライターとは」「編集とは」みたいな話にあまり関心がなくて、「みんなちゃんと考えていてすごいなぁ……」と思っていたのだけれど、どうにも自分の中で収まりがつかなくなってきたので、自分のために書きます。

ありがたいことに、ライターとしていろいろと声をかけてもらうことが多くて、いつも「ありがてえ、ありがてえ……」と思って仕事をしています。自分ではあまり自覚がないのだけれど、どうやら質問運びに特長があるようで、褒めてもらえることもあります。自分としては、その時の会話をただただ楽しんでいるだけなのだけどね。でもたまに私の拙い質問に、鳥肌の立つような言葉を返してくれることもあって、そのたびに「あぁ、この仕事しててよかった」と思うのです。

で、その会話の楽しさや知的刺激をなんとか原稿にも落とし込もうと七転八倒するのだけど、これがまた時間がかかる。その時の語調や空気感を思い出しながら、でもそのままじゃなくて、よりわかりやすく伝わるように、って。でも取材が立て込んでくるとどうしてもその時間から1週間経ったあとに思い返すことになって、さらに時間がかかる。書かなきゃいけない原稿もたまる。悪循環。そして編集さんに迷惑をかける。ごめんなさい、ごめんなさい……。

一方で、数は多くないけれども編集を担当している媒体もあって、致命的にダンドリ力のない私はこれまた右往左往して、迷惑をかけまくっていたのだけれど、なんとかようやっと取り戻してくると、だんだんその面白さにも気づいてきた。

いかにも昭和の女なもんで、わかりやすく例えようとするとだいたい野球になるのですが、編集はいわば、監督。「このネタ、面白い!」「このライターさん、こういう題材だともっと輝きそう!」「このカメラマンさん、こういう雰囲気に合いそう!」と普段の仕事の中で見えてきたものを組み合わせて、ひとつの記事にする。「ぼくのかんがえたさいきょうの〇〇」を形にできる。それがカチッとハマるとめちゃくちゃうれしい。私の考えている以上のものに仕上げてくれたり、アイデアを出してくれたりすると、自分ひとりでできることなんてほんと大したことないな……と思い知らされて、自分の糧にもなる。

ライターは、リリーフエースとか、代打の切り札とか、そんな感じ。いつ登板や打席が来てもいいように、つねに肩をあっためて、素振りして、出番を待つ。そこでピシャッと抑えたり、ホームラン打ったりするカタルシスはやはりあるのですよ。

でもね、だんだん磨耗していく自覚もあって、このままの手グセでは活躍できないな、ちゃんと体力つけなくちゃな、と考えているし、たまに輝くライターさんが彗星の如く現れたりすると、「ダメだ! あっちのほうが豪速球! 若いしキレるし、負ける!」みたいな焦燥感もあって。

あと、ほんとはフォークも投げられるし、自分では得意だと思ってるんだけど、一向にサインが出てこないから投げられない、みたいな。「今日も得意のスライダー! 待ってますよ!」ってキャッチャーがミット構えてるの。

なので、自分の心境的にはライターも編集もどっちもバランス良くやれたらいいなぁ、と思うんだけど……それってプレイングマネジャーってこと? ダメじゃん! それで活躍できてるひと、ほとんどいないじゃん!

という現実に直面して、呆然とするのです。

そんなときに「おおやさんはライター一本でやったほうがいいよー」と言われたりするし。でもライターだけで食うのは心がしんどいようー! まだもっといろいろやってみたいよー! と思うのは、甘いんだろうかね、やはり。

読んでくださってありがとうございます。何か心に留まれば幸いです。