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世界は粒子であり、波である

なんか胸が詰まった。
泣くかと思った。

「質量への憧憬」展での1コマ。

フレームや目的に最適化していくことって舞台で演じることに似ているのかもしれない。
決められた自分の役を、与えられたシナリオの中でどう表現するか。
予期しない設定や気に入らないセリフがあっても、その中で実現したいストーリーをどう作ってくかが問わていれる世界。

公の部分が多い人ってなかなか舞台から降りられる時間がすくないんだと思うけど
誰しも自分の人生の主役は自分であって、それは、あらかじめ決められたフレームとは時間的空間的にまったく別の軸で動いているはず。
そして、逆に人や社会の舞台に立ってない素の状態があるからこそ、また壇上に上がっていけるはずなのだ。

今回の展示は、写真やメディアアートという形によって、落合さんがいい意味で自分が主になる場を作り出しているように見えた。
世の中が期待したりすることとかなんとかとは完全に切り離された舞台で、自身の行きたい先やつくりたいものを紡ぎ出しているように見えた。

どの作品も素敵だったのだけど、
私はとりわけこの言葉にすごくひきこまれてしまったのでした。

写真が抽出してきた光という存在は、性質としては粒子でもあり、波でもあって。
いくつもの舞台に上がり続ける彼の多面性を象徴するようにも感じられました。

図解でコミュニケーションを変えることをミッションにここ3年くらい活動